「意固地」とは?
読み方
「意固地」は<いこじ>と読みます。かつては「依怙地<えこじ>」として使われていた語が変化して、現在では「意固地」として使われています。
意味
「意固地」という言葉は「つまらないことに意地を張り通すこと」、「意地を張っているさま」を意味します。
つまり、どうしようもないことを頑なに成し遂げようと頑固になったり、間違っていると分かっていても自分の意思を曲げようとせずにやり続けることです。
あなたの周りに、気に入らない事があると周りの意見を無視し続け、自分の意見を全く譲ろうとしない人はいませんか?そういう人を「意固地な人」といいます。
「意地気(いじき)」という言葉が、「意固地」という言葉に転じたと言われています。「意気地(いじき)」とは他人と張り合ってでも、自分の思う事をやりとげようという気構えのことです。
「意固地」:使い方
意固地になる
「意固地になる」とは、どうしても自分の意見を曲げられない状態になってしまうという意味です。頑なに塞ぎこみ、意地を張っているような様子を表します。
悪い事であるという自覚や、間違っているという認識はあるものの「謝る事ができない」「認める事ができない」という状態を示す言葉です。
【例文】
- 意固地になってないで、部屋から出てきなさい。
- プライドが高い人は、意固地になりやすい。
意固地な性格
性格や性質として「意固地」を使う事があります。何かにつけて自分の意見を押し通そうとする人や、他人に意見されることを嫌い、非を認めないような人を表す言葉です。
【例文】
- 意固地な男性は、女性から好かれないですよ。
- あの人は本当に意固地な人。話してると疲れる。
「意固地」と「意気地」
自分の意思を押し通そうとすることは、決して悪い事ではありません。海外の人に日本の『SAMURAI』がうけているのは、その見た目のインパクトだけではなく、その心に宿る『侍魂』が評価されているから、だそうです。
『侍魂』とは、武士道精神とも相通ずるものがあり、主君への絶対的忠誠や、屈することのない意思、誇り高い高潔な心のことを指しています。
このような強く美しい芯の通った意思のことを表す言葉が、「意気地(いくじ)」です。この言葉には「意固地」のように悪い意味はありません。
「意気地」とは間違っているとわかっているのにその意思を貫こうとしたり、好かれているものを否定したりする「意固地」とは、一線を画するものなのです。
「意固地」と「頑固」
よく「頑固オヤジ」などと使われる「頑固」という言葉ですが、「他人の意見を聞こうとせず、頑なに自分の考えや態度などを守ること」を意味しています。
「聞く耳を持たない」「謙虚さがない」「自分の過ちを絶対に認めない」といった状態を「頑固」といいます。
「意固地」と共通しているのは、両者ともに自分本位で、自分の意思を貫こうとするところです。頭が固く、譲歩する事ができないのです。
「頑固」が「意固地」と異なる点は、「頑固」な人が自分が間違っていることにすら気づいてないところにあります。「意固地な人」は、本心では自分が間違っていることに気づいているのに、それを認めようとしない人です。
「相手の話を聞こうとしない」のが頑固な人。「自分の意見を押し通そうとする」のが意固地な人です。「意固地」とは、素直ではないということですね。
「意固地」まとめ
子供の頃、お母さんなどから「意固地になってないで、早く手を洗ってきなさい」などと怒られた経験はありませんか?
何かにつけて駄々をこねて、「洗わない!」と決め込んで、その姿勢を貫いていると、いつかはこのように怒られます。
何かに意地を通すことは、良いこととされていますが、つまらないことに意地を張っていると「意固地」と言われかねません。気づかないうちに「意固地」にならないよう、気をつけたいものですね。