「凡百」とは?意味や使い方をご紹介

「凡百」とは、さまざま、かずかず、など極めて数が多いことを表す言葉です。転じて、ありふれた、平凡な、などの意味が派生しました。若い世代には馴染みが薄いかもしれませんが、いまだ見聞きする言葉です。今回は、「凡百」の意味と使い方を、類語を含めてご紹介します。

目次

  1. 「凡百」とは?
  2. 「凡百」の使い方
  3. 「凡百」の類語
  4. 「凡百」のまとめ

「凡百」とは?

「凡百」には、複数の読み方(ぼんぴゃく・ぼんひゃく・ぼんびゃく)があります。「はんぴゃく」という読み方もありますが、一般的ではありません。

「凡百」は、さまざまもろもろかずかず、などを意味する言葉です。たくさんある、ということから派生して、現代では「凡百」は、ごくありふれた平凡な並みの、などの意味でも用いられるようになりました。

「凡百」の漢字の意味

「凡百」の意味をより深く理解するために、それぞれの漢字を解説していきましょう。

「凡」は、すべて並みのありふれたおおよそ、などの複数の意味をもつ漢字です。「百」は、読んで字のごとく数の百を表しますが、そこから転じて、数々のもろもろのさまざまな、など「多さ」の総体をも意味しています。

この「凡」と「百」が合わさった「凡百」は、「数の多さ」を表します。数が多いということがすなわち、ありふれている、凡庸、月並み、などの意味にもつながるわけですね。

「凡百」の使い方

数が多いことから転じて「ありふれた」などの意味を持つ「凡百」。用いられる場面は、どちらかというと、「凡百の~を越える~だ」というように、月並みではないほどに素晴らしい、ということを表すための比較として使われるケースが目立ちます。

ありふれたレベルとしての「凡百」をもってくることで、相反する優秀さを際立たせる、という手法です。そのような使い方も含め、文例を挙げてみましょう。

文例

  • 優れたシェフになることを目指して修行を続けてきたが、先週料理長から、お前は凡百の料理人の1人にすぎないと言われてしまった。
  • 頭脳が優秀というだけの凡百の学者が多い中、破天荒な生き方をする学者たちがノーベル賞を受賞するケースが多い。
  • プロのサッカー選手になった中山君は、中学生のころから、凡百のサッカー選手をはるかに超える、ぬきんでた技術を身に着けていた。
  • 山田氏のヘアカットの腕前は、凡百の美容師の技能では及ばない、まさに天才的なレベルだ。

「凡百」の類語

「平凡」

「平凡」(へいぼん)とは、目だって優れたところがなく、普通であることその他の多くのことと大差がなく、面白みに欠けること、などの意味があります。「凡百」とくらべて、やや「つまらなさ」のニュアンスが強いようです。

【文例:智子は、長年つきあってきた良太に別れを告げた。ある意味長所だと思ってきた彼の平凡さが、共に生きるにはあまりに退屈であることに耐えられなかったのだ】

「凡庸」

「凡庸」(ぼんよう)とは、とりえもなく、すぐれた面もなく平凡なこと普通な凡人取り柄がないこと、などを意味します。人間も事物も対象としますが、比較的人の性質において用いられることが多い言葉です。

とはいえ、ネガティブな意味をもちますから、他者の評価などに用いる時には、気をつけるべき言葉です。

文例:結局のところ、凡庸な日々を過ごしていると凡庸な人間になるのだということを、僕はこの数年の体験で思い知ることになった】

「月並み」

「月並み」には、毎月定例に行われること、などの意味もありますが、「凡百」の類語としては、ありふれていて、世間一般的にきわめて普通であること、という意味が当たります。

型にはまった平凡さ、という意味があるため、否定的なニュアンスをもつ言葉です。

文例:松本君は、陶芸家を目指して10年陶芸に打ち込んできたが、どんなに努力しても月並みな作品しかできず、ついに方向転換して仕事探しをはじめたそうだ】

「凡百」のまとめ

「凡百」そして、その類語の「平凡」「凡庸」「月並み」を解説してきましたが、どのような感想をもたれましたか?普通であること、月並みなことにも、実は大きな幸せが潜んでいるかもしれません。

要は、非凡な天才、平凡な普通人、どのような自分であれ、心が幸せであれば人生は大成功。「凡百」の真の意味はとらえかた次第、ともいえましょう。


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