都市名としての「ロス」
「ロス」と聞いて思い浮かぶものの1つは、アメリカ合衆国の都市「ロサンゼルス」の略称としての「ロス」でしょう。「ロサンゼルス」の英語表記は「Los Angels」ですが、これはスペイン語がそのまま取り入れられたものです。
「Los Angels」の「Angels」は、英語でもスペイン語でも「天使(複数)」という意味です。では「Los」はというと、スペイン語の定冠詞で、英語の「The」に当たります。つまりロサンゼルスを指して「ロス(Los)」と言っても、それは「The」と言っているだけで、日本人以外には通じません。
「失うこと」を意味する「ロス」
上記のロサンゼルスの略称以外に、日本でカタカナ語の「ロス」という言葉を使うケースでは、ほぼ英語の「loss」を示しています。「loss」には様々な意味がありますが、広く「失うこと」を表し、また「敗北」という意味でも使われます。
なお「loss」は名詞で、動詞の「失う」は「lose」(ルーズ)です。
「ロスタイム」(かつてのサッカー用語)
現在、サッカーで「アディショナルタイム(additional time)」と呼ばれているルールは、かつては「ロスタイム」と呼ばれていました。アディショナルタイムは日本サッカー協会のホームページでは以下のように説明されています。
実は旧称の「ロスタイム」は和製英語で、海外では通じません。上記の日本サッカー協会のページでも「誤った使い方、サッカー界では使用していない用語」として、
と明記されています。
流行語「○○ロス」
例えば、大ヒットとなったNHKのドラマ『あまちゃん』の放送終了後に、「あまロス」という言葉が流行りました。これは『あまちゃん』が「失われたこと」による喪失感、寂しさを表した言葉です。
この、喪失感による精神的痛手という意味合いでの「○○ロス」の用法は、「ペットロス症候群」が由来とされています。大切なペットの喪失により、心身に様々な症状をきたすペットロス症候群に比べると、「あまロス」などは、かなりカジュアルな使われ方をしていると言えるでしょう。
「○○ロス」の例文
- ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の放送が終了して「逃げ恥ロス」に見舞われた。
- 福山雅治と吹石一恵の結婚により「ましゃロス(雅治ロスの意)」におそわれた女性が多数いた。
- 安室奈美恵の引退により「アムロス」についてのTwitter投稿が続出した。
経営用語の「ロス」
損益計算書の略称としての「L(loss)」
会計や簿記の知識がある方は損益計算書という言葉をご存じだと思います。損益計算書は略称として「P/L」と呼びますが、「P」は利益の「Profit」、「L」は損失の「loss(ロス)」のことです。経営において「ロス」とは損失そのものを指します。
廃棄による損失としての「ロス」
商品を仕入したものの、売れずに廃棄する場合は「廃棄ロス」が発生します。
- キャンペーンなので大量に仕入したが、不発に終わり廃棄ロスが発生した。
- 悪天候のためて来客が少なく、廃棄ロスが出た。
意図的に行う「ロス」もある
別の方法で利益を得るために、意図的にロスを発生させる手法を「ロスリーダー」戦略と呼びます。分かりやすい例としては、チラシ広告で「卵1パック1円」と謳って集客し、それ以外の商品も買ってもらうことで収益を向上させる手法などが挙げられます。
見えないロス「チャンスロス(機会損失)」
「チャンスロス(機会損失)」とは
こちらも経営用語で、例えば「仕入れていれば本来は売れていた商品が、仕入れしなかったために売り逃した(売る機会・利益を喪失した)」といった場合に使います。「廃棄ロス」に比べて「チャンスロス」は扱いが大変に難しい「ロス」です。
「廃棄ロス」は「100個仕入して80個売れ、20個を廃棄した」などと「ロス」の実績が明確です。一方「チャンスロス」は「100個仕入して100個全てが売り切れた」ことは分かりますが、それが本来120個売れたのか、150個売れたのかは、もう分かりません。つまり「チャンスロス」による損失が20個なのか、50個なのかは明確になりません。「廃棄ロス」に比べて「チャンスロス」は扱いが大変に難しい「ロス」です。
さらに「お客が目的の本を探して書店に行ったが見つからずに店を出た」など、「そもそも仕入れしていなかった・分かりやすい場所に陳列していなかったために売り逃したチャンスロス」のロス実績となると、全く不明と言って良いでしょう。しかし、だからといって何でもかんでも仕入れてしまうと「廃棄ロス」は増える一方であり、ここが難しい点です。
人生にも様々な「チャンスロス」が
例えば合コンに誘われたとします。参加すると「良い出会いがあったか、なかったか」は明確になります。しかし断った場合「行かなかったことにより出会いを喪失したのか、行っても良い出会いはなかったのか」は分かりません。
人生では「見えるチャンス」だけでなく「見えないロス」が溢れていることを認識する必要がありそうです。