「距離梨」とは?
「距離梨」は「きょりなし」と読むインターネット発祥のスラングです。「梨」は「無し」の誤変換が定着したものですから、本来は「距離無し」となるべきところです。
ここでの「距離」は、人間関係における距離感を意味しています。つまり、「距離梨」とは人との距離感がないということ。「距離が無い=距離梨」とは、適切な人間関係の距離を踏み越えているタイプの人間の呼称なのです。
【例文】
- 初対面でいきなり住所を聞いてきた距離梨に戦慄!
- 引っ越し早々知り合った人が旦那の職場とか給料まで聞いてきて、距離梨過ぎる。
距離感と距離間
「距離感」という言葉は、人間関係における心の距離の感覚も表しますが、物理的な「距離」の感覚も表します。
- 距離感(心理的):あの人とは、知り合って何年経っても距離感を感じる
- 距離感(物理的):車を運転するには、正確な距離感を掴めるだけの視力が必要だ
しかし、「距離梨」が話題になる時は、あくまで対人関係における心理的な「距離」が問題となります。たとえば「あのディスプレイの陳列、商品同士が近すぎない?」「そうだね、距離梨」といった用いられ方はされません。
また、後者の物理的な距離を表す「距離間」という同音異義語もありますが、こちらは純粋に物理的、空間的な距離を意味するので、人間の感覚がかかわってくる「距離感」と書き間違えないように注意しましょう。
- 距離感(物理的):対象までの距離を掴む感覚
- 距離間:対象までの距離そのもの
「距離梨」の用法
ニュアンス
「距離梨」における「距離」には一定の基準が定義されているわけではありません。あくまでも、その人間関係における適切な距離感が問題になりますので、「距離梨」という語の使用が適当かは文脈次第と言えます。
その適切な距離感は当事者間で異なっていることも多々あり、「距離梨」と呼ぶ側の拒絶的なニュアンスが込められている表現と言えます。
たとえば「高校時代からの友人がけっこうな距離梨で、連絡なしで突然家に来る」といった場合、問題の友人の方はお宅訪問は気軽にできる環境で育ったなど、この距離感が友人にとっては普通である可能性もあります。
或いは、訪問された側が突然の訪問でも気にならないタイプであれば「距離梨」とは断じられないでしょう。
頻出文脈
人間関係の距離感の不一致がストレスとなり、「距離梨」という語が頻出する文脈があります。それが「職場」です。
仕事ですから人間関係は選べませんし、インターネット上でも不満を打ち明ける声がたくさん上がっています。
【例文】
- 職場で雑談に応じなかったら、距離梨に「距離感ある」と非難された。仕事をしに来ているので、プライベートな会話は不要だとおもうのだが。
- 上司が距離梨で、せっかくの休憩時間にお気に入りのランチの店とやらに毎日連れ回される。休憩時間なのだから、自由にさせて欲しい。
「距離梨」の類似表現
人間関係にトラブルはつきもの。「距離梨」のような、適切な距離感を保てない人に悩まされる、もしくは受け取り手には踏み込み過ぎと感じられて困惑することは珍しくはありません。似たような意味の表現もいくつもあります。
- 無神経
- 馴れ馴れしい
- 空気が読めない、KY
- 重い
- うざい
いずれも相手の状況や表情を見て、適切な距離を見極めることをしようとしない点で「距離梨」とよく似ています。また、否定的なニュアンスを帯びて使われる点で、用法的にも「距離梨」と類似しています。
「距離梨」まとめ
インターネット発祥の比較的新しい言葉である「距離梨」ですが、受け手側のズカズカと踏み込んで来られた不快感を簡潔に表現しているため、すぐに広まりました。
ネット掲示板でも、職場に限らず親戚間、趣味のサークル、ママ友など様々な場所での「距離梨」関連トピックが立てられています。
使いやすい言葉である反面、相手への嫌悪感を込めた表現ですので、「距離梨」と実際に口に出したり、書いたりするときには慎重にすることをお勧めいたします。