「喉元過ぎれば」とは?
喉元過ぎれば熱さを忘れる
「喉元過ぎれば」は正しくは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざです。食べ物や飲み物も熱いと感じるのは喉元までで、通り過ぎてしまえば熱さなど感じないという意味でした。
ここから転じて、逆境や困難も乗り越えてしまえばもう苦しみを忘れてしまう、苦しみやつらさも過去にしてしまうという意味でも使われます。あるいは、受けた恩を忘れていることも表します。
喉元過ぎても熱い
ところが近年では、この「喉元過ぎれば熱さを忘れる」が変化して「喉元過ぎても熱い」と使われます。食道は熱さを感じないので、熱いものも喉元を過ぎれば大丈夫といわれていました。
でも、胸元あたりまでは熱いと感じることもありますよね?それに、熱いものが原因で食道や胃がやけど・炎症になる例もあるそうな。感覚的には、喉元を過ぎても熱い、ですよね。
元のことわざ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のように、苦しみや恩、恨みについても使われます。やられた恨みを忘れていない、受けた恩を覚えている、というわけですね。義理堅いとか執念深いという意味です。喉元過ぎても熱いものは熱いので、恨みを買わないように注意したいですね。
喉元過ぎれば火もまた涼し
さらに転じた「喉元過ぎれば火もまた涼し」という言葉もあります。元のことわざ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と「心頭滅却すれば火もまた涼し」が組み合わさった言葉というわけですね。
元の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と同じように、つらい目にあったのに懲りていない、苦しいことがあったのに同じ過ちを繰り返そうとする、過去の痛みを忘れてしまうといった意味で使われているようです。
あるいは、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の意味を取って、苦しいことから抜け出せた解放感や高揚感、ないしは心揺るがない悟りの境地に至るという意味でも使われています。
「喉元過ぎれば」の使い方
これまで紹介してきたように、「喉元過ぎれば」から始まる言葉はいくつもあります。そのままの形で使われることもありますが、他のことわざ同様、「喉元過ぎればなんとやら」と後半をぼかした使い方もされます。
ぼかす理由は状況次第ですが、全文いうのははばかられる、角が立つ場合が多く見られます。熱さを忘れるまで言ってしまうと、恩知らずと罵っているように聞こえてしまいますし。
「喉元過ぎれば」に限れば、相手が熱さを(=苦しさや恩)を忘れているのか覚えているのかわからない、試しているというケースも考えられます。昔と同じようなピンチが迫っているけれど、どうするの?あなたは昔の苦しみを覚えているの?と問いかけているわけですね。
もっとも、単にことわざを最後まで覚えていない場合もありますが…。
「喉元過ぎれば」の例文
- 「あんなに目をかけて育ててやったのに同業他社に転職するとは。喉元過ぎれば熱さを忘れるの典型例だな。」
- 臥薪嘗胆を合言葉に彼は復讐の機会をずっと待っていたようだ。どうやら喉元過ぎても熱いまま、当時の恨みを引きずっていたらしい。
- 災害の直後は対策に力を入れるが、その時だけだ。まさに喉元過ぎれば火もまた涼しだ。
- 「ネームバリューだけで大学選んで失敗したといっていたけど、就職活動はどう?喉元過ぎれば何とやらにならないようにね。」
「喉元過ぎれば」の類義語
「暑さ寒さも彼岸まで」
「暑さ寒さも彼岸まで」とは熱いとか寒いとか感じるのもお彼岸のころまでで、そこからは過ごしやすくなるという意味のことわざです。「彼岸」とは春分の日と秋分の日の前後3日間です。おはぎ(ぼたんもち)を食べるシーズンですね。最近は暦とは少しずつ季節がずれてきているせいか、彼岸過ぎでも肌寒い日や暑い日もありますね。
暑さ忘れれば陰忘れる
「暑さ忘れれば陰忘れる」とは苦しみを乗り越えると助けてくれた人への恩を忘れるという意味です。暑い夏には木陰や建物の陰で涼みますよね。けれど暑さを切り抜けるともう木陰のことなど存在すら忘れてしまうという意味からできた言葉です。