「察するに余りある」とは?
「察するに余りある」は、(さっするにあまりある)と読み、想いを致そうとしても、その状態や心情がどれほどのものか想像する範囲を超えている、という意味の言い回しです。
「察する」と「余りある」の二つの言葉で構成されているため、まずはそれぞれの意味を深めておきましょう。
「察する」
「察する」は、大きく分けて次の三つの意味をもちます。「察するに余りある」に用いられているのは、下線を引いた二番目の意味です。
- 表に出ていない事情や背景などを、わかっている範囲の状況を通じて推し量ること。推察すること。
- 他者の思いや状態をおしはかって同情し、おもいやること。
- 詳細に調べること。
「余りある」
「余りある」には、二つの意味があります。
- 十分に余裕があること。
- どんなにしてもし尽くせないこと。
上でご紹介した「察する」の二番目の意味と合わせると、「察するに余りある」「想像がかなわないほどの状況であろう」というニュアンスがご理解いただけることでしょう。
「察するに余りある」の使い方
「察するに余りある」は、その背景に思いやりをにじませる表現です。たとえば、大きな悲しみに暮れる人に、「そのお辛さ、わかりますよ」と軽く言っても、かえって「当事者でないあなたに何がわかる」と反感を買ってしまうかもしれません。
「察するに余りある」は、「その辛さを簡単にわかるなどと言わないが、あなたの心情を思っている」という、配慮と思いやりがこもる表現なのです。
また、辛苦や悲哀だけでなく喜びや嬉しさの感情についても「察するに余りある」を使うことができます。この場合は、「私には想像できないほどに、嬉しい気持ちだろう」と、その人に共感を表す言い回しとなります。
目上の人に対しては敬語とともに
「察するに余りある」は、第三者のことを話題にしている場合や、対話している対象となる相手が対等や目下などの存在であれば、このままのかたちで使います。
しかし、敬意を払うべき相手や目上の人間に対しては、「お察しするに余りあることでごいます」などと、敬語や丁寧語を添えて使いましょう。
「察するに余りある」の文例
(A男)
二浪の田中君は、今年も一校も受からずか。彼のショックは察するに余りあるなあ。
(B子)
真由美ちゃんは、10年続いた彼と別れたのね。今のあなたの気持ち、察するに余りあるわ。
(C子)
小林先生が、本年、ご両親を続けて亡くされたと伺いました。ご心中、お察しするに余りあることでございます。
(D男)
山本君の双子の娘さんたちは、それぞれご苦労してきたが、ダブル挙式で結婚か。君の喜びと安堵は、察するに余りあるよ。
「察するに余りある」の類語
「拝察する」
「拝察する」(はいさつする)とは、状況や情報を通して推察、推測することを意味します。「拝」は謙譲の意味をもつ漢字ですので、相手への敬意も表すことができます。
日常会話で用いることは少なく、ビジネスシーンやあらたまった文書などで見聞きすることが多い言葉です。「察するに余りある」のように想像がかなわないというほどの表現ではありませんが、お察し申し上げます、という共感の思いを伝えます。
【文例】
- このたびの御母堂のご逝去には、皆様のお悲しみはいかばかりかと拝察いたします。
「想像を絶する」
「想像を絶する」とは、想像しうる領域をはるかに超えているさまを意味する言い回しです。つまり、推測以上の状況ということです。
その意味で「察するに余りある」の類語たりえますが、使い方に異なる点があります。たとえば、他者が大きな哀しみにあるとき、それを「察する」のは思いやりと気遣いのある行為といえますが、「想像」していますと伝えるのは無神経な行為です。
自身の心のうちで他者の哀しみを「想像」することはあっても、言葉として伝える時は「察するに余りある」を用いましょう。
【文例】
- 富士登山を甘く見て軽装で臨んだが、想像を絶する寒さに凍えてしまった。