「縁は異なもの」の意味
「縁は異なもの」とは、人間の結びつきはどこでどうなるか分からない、面白いものだ、という意味です。
「縁」とは
「縁(えん)」とは、つながり、関係、関わり合いを言います。人と人との切り離すことのできない結びつき、巡り合わせを意味します。
「異なもの」とは
「異」という漢字を見ると、「異なる」という言葉から「他と違っている、同じではない」という意味を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし、「異」にはもう一つ「特に際立っている、不思議である、奇妙である」という意味があります。つまり、ここでの「異なもの」は、「面白いもの、不思議なもの」を表しているのです。
「縁は異なもの」の使い方
「縁は異なもの」が実際どのように使われているのか、用例や例文を見てみましょう。
「縁は異なもの」の用例
永井荷風の『にぎり飯』(1947年)では、以下のように使われています。
「だから、ねえ、おかみさん。どうです。わたしも一人、あなたも一人でせう。縁は異なものッて云ふ事もあるぢゃありませんか。あの朝一ッしょに炊出しをたべたのが、不思議な縁だったといふ気がしませんか。」
空襲で焼け出され、一緒に炊出しを食べた男女が、後日偶然再会したときの会話です。男性は女性を口説き落とし、やがて二人は共に商売を始めます。広い東京で偶然再会し一緒になるとは、不思議なご縁だと言えますね。
「縁は異なもの」の例文
- 卒業旅行でパリへ行った時、ルーブル美術館の前で偶然中学の同級生に再会した。その人と結婚することになろうとは、縁は異なもの、味なものだと思わずにはいられない。
- 北海道で生まれた私が、遠く離れた沖縄の人を好きになり、嫁ぐことになった。まったく縁は異なものである。
- 出張先の福岡の居酒屋で隣の席になった人と話してみたら、実は同郷で、友人のお姉さんであると分かった。縁は異なものである。
例文のように「味なもの」を加えて使われることもあります。「味なもの」とは、普通ではなかなかないような面白みのあるもの、という意味です。「味なもの」がプラスされた場合、特に男女の結びつきを示唆する表現となります。
しかし、「縁は異なもの」自体は、男女の縁に限定された表現ではありませんので、広く人と人との出会いについて使うことができます。
「縁は異なもの」といろはかるた
「縁は異なもの」は、江戸系いろはかるたに多く採用されています。一方、江戸時代のことわざ集などを見ても、あまり多く記載されていません。「縁は異なもの」は、いろはかるたに採用されたことでよく知られることになった表現だと考えられます。
江戸時代に発行された江戸系いろはかるたの「縁は異なもの」の絵柄を見てみると、現在確認できる図柄はすべて「美男と醜女」の組み合わせになっています。なぜか「美女と野獣」の組み合わせはありません。
一方、昭和期に入ってからの絵柄には「美男美女」の組み合わせも登場するようになりました。
「縁は異なもの」の類語
- 合縁奇縁(あいえんきえん)
「合縁奇縁」は、人と人とのつながりがうまくいくのもいかないのも、すべて不思議な縁によるものだという意味です。仏教用語である「愛縁」「機縁」を用いて、「愛縁奇縁」「愛縁機縁」「合縁機縁」と表記されることもあります。
「縁は異なもの」の英語表現・中国語表現
英語では以下のように表現されます。
- Marriage are made in heaven.(縁組は天国で作られる)
中国語では以下のようです。
- 千里姻縁牽一綫(千里離れていても、縁は一本の糸で結ばれる)
「縁」が含まれることわざ
- 縁と浮き世は末を待て(良縁と好機は無理に急いで求めず気長に待った方がよい)
- 縁の目には霧が降る(縁あって結ばれる者同士には、お互いの欠点が見えず身びいきになりやすい)
- 縁は雪隠の踏み板よりむさい(夫婦の結びつきには、きれいごとだけでは割り切れない、打算や愛欲など俗悪な欲望によるものもある)