「野暮用」の意味
みなさんは誰かに予定を訊ねたとき「ちょっと野暮用(やぼよう)があってね」なんて切り返しをされたことはありませんか?「野暮用」とは「取り立てて言うほどのものでない、つまらない用事」あるいは「趣味や遊びに関わらない、仕事のための用事」のこと。
「野暮用」と言葉を濁すのは、明言する必要がない、または詳しく説明したくないと発言者が思っているからです。「野暮用って何?」なんて間違っても訊き返さないよう注意しましょう。それこそ野暮というものです。
「野暮用」の使い方
今や「野暮用」は古臭い言い回しではありますが、それでも今後耳にする可能性はじゅうぶんにある表現です。この機会に使い方をマスターしておきましょう。
とはいえ、「野暮用」を日常会話に取り入れるのはそう難しくありません。「野暮用で隣町まで出かけてたんだ」「昨日は野暮用で立て込んでたもので、電話に出られなくて悪かったね」といったように、“用事の一種”として使えばよいのです。
文語なら「Aさんを見かけたのは、野暮用で出かけた先のことだった」「彼は遊びの誘いを、野暮用があると言って断った」といった使い方ができます。また相手から「野暮用だ」と言われた際は、それ以上追及せず「そうなんだ」と軽く受け流すのがよいでしょう。
「野暮用」の野暮とは?
そもそも「野暮用」は、野暮な人・野暮ったいといった表現の元となる「野暮」という言葉と、用事を意味する「用」が合体した熟語です。
「野暮」は「無粋(ぶすい)」とも言い、「世情に通ぜず人情の機微をわきまえないこと。風雅な心のないこと。特に、遊里(ゆうり)の事情に通じないこと」を意味しています。
遊郭に見る「野暮」と「粋」
遊里というのは遊女のいるところの総称で、遊郭(ゆうかく)とも呼ばれます。江戸の吉原遊郭や京都の島原遊郭が有名ですね。遊郭と言うと現代のソープランドのような店を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、初期の頃の中級以上の遊郭は、非常に敷居の高い場所でした。
中級以上の遊郭には厳格な作法があり、気に入った遊女がいても、指名すれば即ベッドインできるわけではありませんでした。遊郭の作法はかなり特殊でややこしく、金も時間もかかる上に、これを知らないと出入り禁止になったり、客であっても容赦なく罰を受けることもあったようです。
大枚をはたいてそんなルールの厳しい店に通うなんてバカらしいとも思えますが、そのバカバカしいことのために大金をさらりと投じるのがある種の“粋(いき)”でもあったのです。逆にそういった粋な心を理解せず、金や時間を惜しんだりするような人間は、野暮・無粋と称され敬遠されました。
「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という言葉があるように、気風(きっぷ)の良さや金銭に執着しない心意気は、江戸時代の人間の美徳だったのですね。
「野暮」の語源
なぜ「人情の機微をわきまえない人」を「野暮」と言うのか、実はその語源はハッキリしていません。漢字は当て字であるとされていますが、由来に関しては諸説あるのです。
最も有力な説は、「野夫(やふ・やぶ)」が元となったとする説です。「野夫」とは「田野に出て働く男。また自分卑下して言う語」のことで、これが「やぼ」に変じて「野暮」となったと言われています。「野夫」という言葉は現代ではほとんど使われませんが、松尾芭蕉の『奥の細道』には以下のような記述があります。
(草を刈る男に頼み込んだところ、田舎者といえどさすがに人情を知らぬわけではない。)
那須の黒羽の知人を訪ねる道中の芭蕉が、放し飼いされている馬を見つけ、草刈り中の男に馬を貸してくれるよう頼んだ際の記述です。馬を借りる立場なのにちょっと上から目線なのが気になりますが、ともかくこのように野夫はやや軽侮(けいぶ)を含んだ言葉なのです。
ちなみにこのあとに続く、芭蕉の弟子の曾良(そら)が詠んだ俳句はとても素敵なので、気になる人はぜひ『奥の細道』の「那須野」で調べてみてくださいね。