「崇めて」とは?意味や使い方をご紹介

「崇めて」は、動詞の「崇める」の派生語です。読み方がわかりづらいかもしれませんが、意味は「宗教」から推察できそうです。古今東西、人間がなにを「崇めて」きたかは、世界史を知る大きな情報のひとつでもあります。今回は「崇めて」の意味と使い方を例文を含めご紹介します。

目次

  1. 「崇めて」とは?
  2. 「崇めて」の使い方
  3. 「崇めて」の類語

「崇めて」とは?

「崇めて」は、マ行一段活用の動詞「崇める」の連用形「崇め」に、接続助詞の「て」が付いて構成されている言葉です。(~を崇めて、~を崇めている)などのかたちで用いられます。

「崇めて」の意味を知るためには、そのもとである動詞「崇める」を正確に理解する必要があります。まずは、そこから解説を始めましょう。

「崇める」の意味

「崇める」は、大きく分けて下記の二つの意味を持ちます。意味2は昔の日本語におけるものであり、現代日本語の「崇める」は意味1において使われています。

  1. きわめて尊いもの、絶対的なもの、神聖なもの、として扱うこと。
  2. 大事に扱う、寵愛する。

意味1においては、さらにその内容を二つに分けて考えることができます。すなわち、神仏などを信仰の対象として「崇める」のと、強く心惹かれる対象を(まるで神仏のように)きわめて価値ある大切なものとして「崇める」場合です。

後者の「崇める」はほとんど比喩的に用いられ、真剣な崇拝とまでいかないレベルで使われているケースや、冗談めかした軽いのりで使われることもあります。

「崇めて」の意味

「崇める」の派生語である「崇めて」は、きわめて尊いもの、絶対的なもの、神聖なものとして崇拝して、というような意味で使われる言葉です。

「崇める」と同様に、その対象は信仰する神仏などの場合と、その人にとっておおいに価値ある大切なものである場合に分かれます。

「崇めて」の使い方

「崇めて」が信仰において持ちいられる場合は、それぞれの宗教や神仏への帰依のしかたによって異なりますので、使い方を一概に定義することはできません。少なくとも共通することは、心からの敬いや全託で、中途半端な感情ではないという点です。

神仏、宗教とは関係なく、熱狂的に愛好する対象などに用いる場合は、「崇めて」の熱量にもかなりの差があります。崇拝に近い使い方から、かなりはまっている、という軽い感じの使い方までさまざまです。どのような差があるかは、前後の文脈で判断しましょう。

「崇めて」の例文

  • 山田君は仏陀を崇めており、その足跡をめぐる旅と称してインドまで渡ったんだ。
  • 中村さんは、竜神を崇めているらしい。
  • 鈴木君は、あるロックスターを崇めて、長年ファンクラブの会長を務めているそうだ。
  • ジャンクフードは、なぜか中毒症状に近いくらいにそれぞれを崇める愛好家を持つものだ。

「崇めて」の類語

「崇拝して」

「崇拝(すうはい)して」とは、心から傾倒し、敬い尊んで、という意味の言い回しです。偶像崇拝、などの言葉があるように、宗教的に「崇める」思いと、強い思いやあこがれの気持ち、というふたつの側面があります。

【例文】

  • 美幸さんは聖母マリアを崇拝して、家に美しいマリア像を祀(まつ)っている。
  • 田中君は、ある作家を崇拝して自分も小説家を目指したが、挫折続きだそうだ。

「畏敬して」

「畏敬(いけい)して」とは、偉大な人物や権力ある人物、崇高なものなどををおそれ敬って、という意味の言葉です。比喩的に軽い感じで使われることは、まずありません。

「畏」という漢字には、敬服する、おそれ敬う、かしこまる、などの意味があることから、「畏敬して」の対象は、普通の人物や物ではなく、仰ぎ見るような存在となります。「畏敬して」という表現より頻繁に使われる「畏敬の念」は、覚えておくと有益な慣用句です。

【例文】:家来は主君を畏敬してこそ、真の家来といえる。

「尊敬して」

「尊敬(そんけい)して」は、類語のなかではもっとも一般的で、使われる頻度の高い言葉ですが、それだけに宗教的な意味で使うには「崇めて」より弱く、あまりふさわしいとはいえません。

「尊敬して」とは、対象とする人の人格や行動、業績などを優れたものとして認め、その人を敬って、という意味の言い回しです。「崇めて」や「崇拝して」は対象が人間以外でも可能ですが、「尊敬して」の対象は人間のみです。

【例文】:わが校の校長先生は、誰もが尊敬してやまない高潔な人物だ。


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