「目の保養」とは
「目の保養(めのほよう)」とは、美しいものやきれいなもの、あるいは珍しいものなどを目にして、喜んだり楽しんだりすることを喩(たと)える慣用句です。同じ意味で「目の正月、目正月、目の薬」という言い方もあります。
「目の保養」は、視覚による喜びを表す表現ですが、具体的には、美しい風景や絵画・美術品、女性や男性などを見ることによって得られるものです。
もちろん、見る人の感性や好みによって違いはあるものの、見たことによってその人が喜んだり楽しめた時には、「目の保養」になったと言って、その気持ちを表現することができます。
「目の保養」の使い方
- 旅行先の京都から母が、イケメン俳優とのツーショットを送ってきた。コメントには「東映映画村で○○とツーショット。金閣寺よりも目の保養になった」と書いてあった。
- お茶会で、千利休ゆかりの茶碗を見せてもらい、目の保養をさせてもらった。
- パリ・コレクションで見た美しいモデルたちと斬新なデザインの衣装の数々は、目の保養になり、とてもすばらしかった。
- 老舗料亭の季節の彩(いろどり)豊富な懐石(かいせき)料理は、ただ食欲を満たすだけでなく、目の保養にもなる美しいものだった。
- 朝夕、露天風呂につかりながら見た富士山の姿と色彩の変化は目の保養になるばかりか、日々の疲れを癒してくれた。
「目の保養」の類語
「眼福」
「眼福(がんぷく)」は、美しいもの、珍しいもの、貴重なものなどを見ることができたときの幸福感を表す言葉です。普段はあまり使うことのない言葉ですが、「目の保養」とほぼ同じように使うことができます。
「眼福」の語源は中国語で、(イエンフウ)と読みます。中国語ではほかにも、おいしいものを食べた時には「口福(コウフウ)」、美しい音楽を耳にした時には「耳福(アーフウ)」と言って満足感を表すそうです。
【例文】
- まさか、円山応挙の絵を拝見することができるとは思ってもみませんでした。眼福にあずかり、ありがとうございました。
- 滅多に見られないという見事な逆さ富士を前に、母は「こういうのを眼福っていうんだろうねえ」とため息をついた。
「目もあや」
「目もあや」には、まばゆいばかりに美しいさまと、まともに見ることができないほどひどいさまという二つの正反対の意味がありますが、後者のひどいという意味は、古典での用法です。
「目もあやな○○」というように、名詞を修飾する形で使われます。日常会話ではあまり耳にしませんが、文芸作品などでは見かけることがあります。
【例文】
- 結婚式での姉は、目もあやなウェディングドレス姿で、妹の私も誇らしいくらい美しかった。
- 彼女は、ヴァン・クリーフ&アーペルの展覧会で、目もあやな数々のハイジュエリーにうっとりと見とれていた。
「目を奪う」
「目を奪(うば)う」は、あまりの美しさ、立派さなどで、思わず見とれさせるさま、驚きで夢中にさせるさまを表す慣用句です。「奪う」という表現がその美しさの度合いや驚きの大きさを際立たせていますね。
【例文】
- 毎年ルミナリエの美しさに目を奪われているが、今年は新型肺炎の流行のせいで中止になり、とても残念だ。
- パリ・オペラ座のバレエダンサーたちの優雅で洗練された動きと美しい衣装に、しばし目を奪われていた。
「目の保養」の反対の意味に近い言葉
【目の毒/目に毒(どく)】
「目の毒/目に毒」は、見ると害や苦痛になり、見ないほうがよいという意味の慣用句で、「目の保養」と同義の「目の薬」の対義語です。
写真や絵画、映像など、それを見て不快感を感じたり、子供の精神的な成長に悪影響を及ぼしたりするような場合に使うことの多い言葉です。
また、「目の毒/目に毒」には見ると欲しくなるという意味もあります。見ることで欲求が高まるので、見ない方がいいという場合に使われることが多いです。
【例文】
- そんな残酷な写真は、子供には目の毒だから見せないほうがいい。
- CMで流れたエロティックな女性の姿に、「不適切だ」「目に毒だ」という苦情が殺到した。
- ダイエット中の私にとって、デパ地下は誘惑が多い。特に大好きなケーキが並んでいるショーケースは目の毒だ。