三位一体の読みと意味
「三位一体」は「さんみいったい」と読みます。「三位」を「さんみ」と読むのは「連声」と呼ばれる音変化によるものです(例:「反応」を「はんおう」ではなく「はんのう」と発音する等)。
「三位」は、三つのもの……特にキリスト教で、神・キリスト・聖霊の三者をさし、「一体」は一つになることを意味します。
すなわち「三位一体」とは、キリスト教の用語であると同時に、「三つの異なるものが一つになる。三者が心を合わせたり、協力して一体となる」さまを表しています。「三位一体となって難局を乗り切る」というような使い方をします。
三位一体の類語
三位一体の類語には、「渾然一体(こんぜんいったい)」「相即不離(そうりふくり)」「表裏一体(ひょうりいったい)」などがあります。
「渾然一体」とは、「全てがすっかり混じり合い、一つになって区別のない様子」を表し、“ここの料理人が作った料理は、さまざまな素材の持ち味が渾然一体となっている”のように用います。また、「相即不離」は、「二つのものがに密接に結びついて離れがたい状態にあること」、「表裏一体」は「相反するように見える二つのものが本質的には一つであること」を意味し、いずれも「複数のものが一つになる」ことを表しています。
キリスト教の教義「三位一体」
続いてキリスト教の「三位一体」についてご紹介しましょう。「神は本性において唯一絶対の存在であるが、父・子・聖霊という三つの位格(ペルソナ)を持っている」という教義のことを「三位一体」といいます。これは、父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は同質で不可分であるとする主張で、イエスの神性を強く認めているものです。
なお、精霊に関しては具体的な説明が難しいですが、目に見えない影響力や触媒のようなものでしょうか。宗教画ではたびたび白い鳩の姿で象徴されます。
この「三位一体説」は、ニケーア教会会議(325年)、コンスタンティノープル教会会議(381年)、カルケドン教会会議(451年)を経て、正統な教義として認められました。その後、アウグスティヌス(ローマ末期の古代キリスト教最大の指導者、神学者)が「三位一体論」において明確な定義づけをし、神学的に体系づけがなされました。
三位一体論
400年~419年にかけてアウグスティヌスによって唱えられたものです。聖書の記録に従って三位一体の教義の解明に努め、教義をめぐる諸説に論及し、三位一体の秘儀について考察しています。
新約聖書の「三位一体」
なお、新約聖書には「三位一体」という表現はありませんが、「父、子、聖霊」の三者を並記した個所があり、“父なる神は、子なるキリストとなってこの世にあらわれ、神の愛や意志を伝える聖霊によってみずからを啓示する”というところから、三位一体説の基礎が確立されているといわれます。
三位一体の改革
日本では、「三位一体」という言葉は小泉内閣の政策で一躍有名になりました。「三位一体の改革」とは、地方財政と地方分権に関わる改革のことです。
具体的には、①補助金(国庫支出金)の削減 ②国から地方公共団体への税源移譲 ③地方交付税交付金の見直し、の三つを同時に行うことで、2004年度から実施されました。
この改革によって小泉内閣は、国家財政を軽くし、地方公共団体の権限と責任の拡大をはかり、地方財政の自立性を高めることによって、税制面から地方分権を進めようとしたのです。
「三位一体」のまとめ
いかがでしたか。諸説ありますが、「三位一体」説がキリスト教の教義として成立するにあたっては、多くの議論がなされ、さまざまな会議が開かれました。「三位一体」説を唱えた先人たちの強く熱い思いを感じますね。
はたして「三位一体の改革」や政治家に、このような強く熱い思いを感じられたでしょうか。日本の政治家や政策にも、先人たちのような情熱を感じたいものですね。