「露悪的」とは?
「露悪的」(ろあくてき)とは、自分の短所・欠点などの悪いところをあえてさらけ出すさま、を意味する言葉です。
「露悪」という名詞に接尾辞の「的」がついて構成された言葉ですので、その意味をより深く知るために、まずは「露悪」の文字の意味を見ていきましょう。
「露悪」の字義
「露」は音読みが(ろ、ろう)、訓読みが(つゆ、あらわれる、あらわ)。さまざまな意味を持つ漢字ですが、「露悪的」に用いられているのは、あらわす、さらけ出す、あらわになる、という意味です。同じ意義で使われる言葉の例としては、暴露、露出などが挙げられます。
「悪」はまさに「悪い」という意味です。したがって、「露悪的」とは「自分の悪い部分をさらけ出す」という意味になるのです。
「露悪的」の使い方
「露悪的」は、一般的に第三者が「露悪的な人」を形容するときに使われます。自分で自分を「露悪的」と評することはほとんどないといえましょう。
自身のことを露悪的だと述べることは、文法的に誤りではありません。しかし、故意に短所をさらしていることをわざわざ自称するのは、「露悪的」な人にとってはナンセンスなことでしょう。
「露悪的な人」は、最近ではテレビをはじめとする芸能の世界でも見られるようになりました。自らのよこしまさや過去のワルぶりをあっけらかんと語り、逆に「裏表のない人」という評判を得るようなスタイルは、現代的といえるかもしれませんね。
「露悪的」の文例
(A男)
自分の悪さを隠さない露悪的な人物がちょっといいことをすると持てはやされて、聖人君子的な人物がちょっと道を誤ると袋叩きにあうような風潮は、どこかおかしいよね。
(B子)
若い頃は、悪ぶったり飲んだくれたりしている露悪的な男性に惹かれたものだけど、年を重ねるうちに、ただのおバカさんに見えてきたわ。
(C男)
俺は、よく露悪的だと人から言われるけど、あえて悪く見せてなんかいないぜ。正真正銘、根っからのワルなだけさ。
「露悪的」の由来
「露悪的」という言葉の由来は、一説に夏目漱石が小説『三四郎』のなかで「露悪家」(ろあくか)という造語を使ったことからと言われています。そこから派生し、「露悪」や「露悪的」という言葉が生まれたともされます。
ただ、『三四郎』において「露悪家」は、あえて自身の悪さをさらけだす人物、という意味ではなく、悪いことをしても開き直っている人物として表現されています。
由来から考えると歴史の浅い言葉ではありますが、人々が「露悪的」という言葉を使っていくうちに、「悪さをさらけ出す人物」という意味に変遷していったと推測できます。
「露悪家」「露悪趣味」とは
漱石が造ったとされる「露悪」という言葉は、「露悪家」や「露悪趣味」という言い回しで表現されることも多くあります。
「露悪家」は、現在では「あえて悪ぶったことを言う人物のこと」を指します。「露悪的」な言動をすることは、誰にでもありえるかもしれませんが、「露悪家」はそれを常としている人、つまりその人物の全体的な傾向として称されます。
「露悪趣味」とは、「露悪的な表現を好むこと」を意味します。自分を目立たせるために露悪的な言動をとる人や、人の欠点や悪い点ばかりを挙げる人に対して使われることがあります。
「露悪的」と「偽悪的」の違い
「露悪的」とよく似ていながら、前提が異なっているのが「偽悪的」(ぎあくてき)という言葉です。「露悪的」は、もともと持っている悪い部分をわざとあらわにすることですが、「偽悪的」は、あえて悪をよそおうことを意味します。
「偽」は「偽り」、すなわち本当ではないという意味です。実際は悪人ではないところを、わざとそのように見せかけるからこそ、「偽」という漢字が用いられているのです。