「ニヒル」とは?意味や使い方をご紹介

「ニヒルな笑み」や「あの人はニヒルなところが素敵」などと言うことがありますが、どんなときに使う言葉かご存知でしょうか?カタカナだと意味も連想しづらいのであまり馴染みがないかもしれません。ここでは「ニヒル」の意味や使い方、混同しやすい言葉をあわせてご紹介します。

目次

  1. 「ニヒル」ってどういう意味?
  2. 「ニヒル」の使い方
  3. 「ニヒル」と混同しやすい言葉
  4. 哲学としてのニヒリズム

「ニヒル」ってどういう意味?

ニヒルとは、「虚無的」という意味です。虚無的というのは「むなしいさま」であることを指しますが、これを「人間の行いはすべてがむなしいのだ」というレベルまで行きついた思想を「ニヒリズム(虚無主義)」といいます。

ニヒリズムは「人生に意味などない」「社会が発展しても無意味なことだ」などと提唱するものであり、人生や社会を無意味な存在だと否定しています。このような思想を持った人々を「ニヒリスト」といいます。

「ニヒル」の使い方

たとえば「ニヒルな笑み」と言うことがあります。これを「虚無的な笑み」と訳すと少し難しいですが、「どこか冷たさを感じる笑み」と訳すと理解しやすいかもしれません。表情は笑っているのですが、心の奥でどこか冷めているような場合に使われます。

このように「どこか冷めているような」「どこか諦めているような」「どこか悟っているような」雰囲気を含んでいる言動に対して「ニヒルな〇〇」「〇〇がニヒル」といい、またこれらの雰囲気を含んでいる人に対して「ニヒルな人」といいます。たとえば、「ニヒルな表情をした隣の奥さん」、「視線がニヒルな幼馴染」、「職場の親方はニヒルな人だ」といった使い方ができます。

「ニヒル」と混同しやすい言葉

「ニヒル」と似た意味を持つ言葉に、「悲観主義(ペシミズム)」や「アンニュイ」があります。この3つは混同しやすいので、解説をまじえながら違いをみていきましょう。

悲観主義(ペシミズム)

虚無的(ニヒル)な思想を虚無主義(ニヒリズム)といいますが、似た意味を持つ言葉に「悲観主義(ペシミズム)」があります。悲観主義とは「世の中を悲観的にとらえる思想」のことであり、楽観主義の対義語とされています。虚無主義と悲観主義はよく混同されるので注意が必要です。「人生や社会を悲観して(嫌って)いれば悲観主義的」、「人生や社会を無意味なものだと否定していれば虚無主義的」と判断することができます。

アンニュイ

「アンニュイ」は倦怠という意味で、気だるげだったり退屈だったりと、「無気力な状態であること」を指す言葉です。たとえば「アンニュイな表情」といえば、「退屈そうな表情」という意味になります。ニヒルと混同しやすい理由は、どちらも「前向きではない状態を指す言葉」だからです。

大まかには「ニヒルは冷めている」、「アンニュイは退屈」と分類することができます。もう少し踏み込むと、ニヒルには若干の意志が含まれています。「人生に意味はない」という考えの裏には、「意味のない人生でも生きていくしかない」という意志が隠れています。

対するアンニュイとは、「ただ単に退屈な状態」なのです。元気も気力もなく退屈なときには、「それでも何かをしよう」という意志はなかなか持てません。別の表現をすれば、「ニヒルは人生や社会などのあり方について考えているが、アンニュイは退屈な時間を何もせずに受け入れている状態」といえるでしょう。

哲学としてのニヒリズム

ニヒリズム(虚無主義)は哲学としても長年研究がされています。ニヒリズムは「どれだけ人類が発展しようとも、我々は本質的な価値や真理は得られない」という概念を前提として、「したがって人間や社会が行っていることはすべて無意味なのだ」と提唱する思想です。もし誰かが「人間は何のために生きているのか」と問いかければ、「何の意味もない」とニヒリスト(虚無主義者)は答えるでしょう。

たとえば資産がたくさんあって、社会的権威があって、幸福な人がいたとします。当人は「これが人間の価値だ」と思っているとしましょう。しかしそれは「当人にのみあてはまる真実」であり、別の人からすれば「そんなものよりもっと尊いことがあるよ」と思うかもしれません。つまり、人間に共通する「本質的な」価値は誰にもわからないし、そもそも存在するのかすら不明なのです。

そういう意味で、ニヒリズムは「人間や物事に本質的な価値など存在しない」と提唱しているのです。これを考えると、「何のために働いているのだろう」とか「何のために頑張っているのだろう」と疑問を抱く現代の人たちは「小さなニヒリスト」だといえるでしょう。

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