「虚無感」の意味
この世に存在する全てのものに価値や意味を感じられず、むなしく思うこと。そして、「虚しい」、「空虚な」、「何もないような」感覚を指します。自分が向かうべき道が見当たらず、暗闇の中にいるような感覚です。生きる目的もなく、意味もない、生きる目的を見失ってしまった。というような「人生が無意味だという感覚」を形容する表現です。
「虚無感」~あの松尾芭蕉も?~
皆さんもご存じの通り、「おくのほそ道」で有名な「松尾芭蕉」は江戸時代前期に生きた人です。俳諧を完成させた「俳聖」とも呼ばれるあの松尾芭蕉ですら、死期を目前にして「虚無感」を感じていたのではないかと言われております。
芭蕉が亡くなる直前に詠んだ最後の俳句は、「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」という句で、病床に伏しながら詠んだものです。これにはたくさんの解釈があり、深くは説明できませんが、その後、芭蕉は様々な思いを巡らすようです。松尾芭蕉の門下である各務支考という人の「笈日記」には、下記のようにあります。
と述べられています。病床にありながら、死期が近いと悟ったのでしょう。芭蕉は、自分の死期が迫り、「自分が生前作り上げてきた俳諧を忘れたいと思う」と言って悔やんでいたそうです。今までの人生を振り返って、自分が成し遂げたことを忘れたい!と思うほど、今までの自分の人生が無意味なもの、これから向かうべき道もなく、虚しいという、まさに「虚無感」を感じていたのではないでしょうか。
「虚無感」との付き合い方~無常観~
皆さんは、「無常観」という言葉を一度は聞いたことがあるかと思います。多くの方が、「平家物語」の冒頭である、「諸行無常の鐘の声」「盛者必衰の理のごとく」を習いましたね。兼好法師の「徒然草」や鴨長明の「方丈記」は、学校で学んだことがあるかと思いますから、「無常観」という言葉を一度は聞いたことがあるはずです。
「虚無感」との付き合い方①~無常観・常であるものは無い~
「無常」とは、「いつも、これから先も永遠に変わらないものなどないよ。」という意味で、「世の中全てのことやものは変化していきますよ。」ということです。
仏教の教えからきたものですが、日本人は、「変わっていくこと」に美徳を見い出し、その傾向は今でもあります。例えば、皆さんがお好きな「桜」です。あんなにも大木たちが一斉に花を開く姿は美しいのですが、それと同時にわずかな期間に「儚く」散ってしまうことにもう一つの美しさを感じます。
ですから、今、皆さんが抱えている「つらさ」や「痛み」そして、「無気力さ」さえ、変化していき、きっと前向きに考えられる日がやってくるでしょう。
「虚無感」との付き合い方②~無常観・儚いもの~
前述の「桜」の例も同様ですが、皆さんは、何かの原因がもとで「虚無感」を感じているのかもしれません。ずっと一緒にいた誰かがいなくなってしまったり、別れがあったりと、様々ですが、世の中の出会いと別れは「桜」と同様、永遠には続かないのです。私たち全員、最終的には、この世界から旅経ちます。そうです、「儚い」のです。
織田信長が好んだ幸若舞の敦盛にある一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」とありますが、「人間の人生は、天界に比べたら夢や幻のように儚いものだ」というような意味になります。
だからこそ、私たちは、世の中にあるものや事柄は全て儚く消えてしまうもの、そして、自分の人生もあっという間だから、前を向いて短い人生を生きなければ!と前向きに生きていくことが「美しさ」の一つなのではないでしょうか。
「虚無感」の使い方
では、「虚無感」の使い方を見ましょう。
「付き合っていた恋人に振られてしまって『虚無感』があるけれど、仕方がない。前を向いて歩こう!」
このように、「虚無感」を感じることもあることでしょう。しかし、前を向くことが必ずできるはずです。
「虚無感」の意味を含めて、その例や乗り越え方を中心に「虚無感」についてご説明させていただきました。これをお読みの皆さんの力に少しでもなれたのであれば幸いです。