「レゾンデートル」とは?意味や使い方をご紹介

「レゾンデートル(raison d'être)」は「存在理由(存在価値)」を意味するフランス語です。決して日常語ではありませんが、哲学や文学の分野では常に中心的な課題であり続けています。ここでは、「レゾンデートル」の意味や用法、そしてシェイクスピアの戯曲や「実存主義」などについても解説します。

目次

  1. 「レゾンデートル」とは
  2. 作品のタイトルとしての「レゾンデートル」
  3. 文学と「レゾンデートル」
  4. 実存主義哲学と「レゾンデートル」
  5. サルトルの実存主義
  6. まとめ

「レゾンデートル」とは

「レゾンデートル」の意味

「レゾンデートル(raison d'être)」はものの「存在理由」や「存在価値」を意味する、フランス語由来のカタカナ語です。原文の発音に近い「レーゾン・デートル」と書かれることもあり、辞書などにはこちらの形で掲載されていることが多いようです。

“raison d'être”の字義

“raison d'être”という言葉のうち、「raison」は「理由」、「d'(de)」は「〜の」を意味します。「être」は英語でいう「be動詞」のことなので、意味は「〜です」や「〜がある」などになります。

なので、“raison d'être”は、「〜です(〜がある)、という、その理由」となります。be動詞がない日本では、転じて「存在理由(価値)」と訳されるようになりました。

「レゾンデートル」の用法

おもに「自分のレゾンデートルを問い直したい」や「これ(物)のレゾンデートルは何だ」といった形で使います。が、日常的に使う機会はほとんどないでしょう。普段から「俺のレゾンデートル」がどうだこうだと言っているような人は、「中二病」のそしりを免れないでしょう。

作品のタイトルとしての「レゾンデートル」

「レゾンデートル」は様々な作品のタイトルになっていますので、それをきっかけにこの言葉を知ったという人も多いかもしれません。

楽曲

まず、ボーカロイド「GUMI」が歌う楽曲として「レゾンデートル頂戴」(作詞作曲編曲:YM)や、「レゾンデートルの花」(作詞作曲編曲:40㍍P)があります。またヴィジュアル系バンド「ナイトメア」の楽曲としての「レゾンデートル」、「越前リョーマcv皆川純子」の歌う「レゾンデートル」もあります。

小説

サスペンス小説には『誰が為の刃 レゾンデートル』という作品があります。作者の知念実希人は本作で「第4回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を受賞しています。

文学と「レゾンデートル」

シェイクスピアの『ハムレット』

文学において、「レゾンデートル」は常に中心的なテーマでした。それを端的に表していると言えるのは、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』に登場する「生きるべきか、死ぬべきか」というセリフでしょう。少し引用してみましょう。

To be, or not to be: that is the question:
Whether ‘tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them? To die: to sleep;

生か、死か、それが疑問だ、
どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、
不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、
それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向かい、
とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。
いっそ死んでしまった方が。死は眠りにすぎぬ

(『ハムレット』第3幕第1場 福田恆存訳)

「To be, or not to be」は、「生か死か」の他にも「在るべきか在らざるべきか」と訳される場合もあります。父親を殺害し、母親を奪った叔父に対し、復讐を誓うも、その遂行をためらい続けるデンマークの王子・ハムレット。彼の「レゾンデートル」に対する悲痛なまでの問いかけが、ここには表されています。

「レゾンデートル」を問う

『ハムレット』だけではなく、シェイクスピアは戯曲という形で「レゾンデートル」を追及しました。一方、後世のドストエフスキーやカミュ、夏目漱石といった文豪たちは、文学という形でそれを世に問いました。むしろ、近代文学は全て「レゾンデートル」を明らかにするための問いかけであったと言っても過言ではないかもしれません。

実存主義哲学と「レゾンデートル」

「哲学」もまた「レゾンデートル」を探求し続ける学問です。特に「実存主義」と呼ばれる哲学においては、中心的な命題でした。

キルケゴールの哲学

実存主義の提唱者といわれるキルケゴールは、「たとえ大多数の人が間違っていると主張しようと、自分にとって真理であれば、それが真理だ」という立場にたちます。そしてそのように主体的に生きる存在を「実存」と呼びました。

ハイデガーの哲学

ハイデガーは、「人は、気が付いた時には世界の中に投げ込まれている存在」であり、かつ「避けられぬ死へと向かってゆく存在」と捉えました。だが、だからこそ自分を進むべき道へと「投げ込んでゆく(投企)」べきだと考えました。

サルトルの実存主義

実存は本質に先立つ

サルトルは第二次世界大戦後に流行した哲学者です。彼のよく知られた言葉に「実存は本質に先立つ」というものがあります。これは「人間ははじめから意味(価値)ある存在として生まれてくるのではない」といった意味になります。

サルトルは人間の本質(=意味や価値)は、後天的に得るべきものだと考えていました。そして「レゾンデートル」は、自らを世間へと投げ込んでゆくことで、自由に変えてゆくことができる、としたのです。

自由の刑

しかし「自由」には常に、不安や自己責任が付きまといます。それらは私たちにとって重荷であるばかりか、そのために気を病んでしまうこともある、重大なものです。それをサルトルは「人間は自由の刑に処されている」と表現したのです。

まとめ

このように、「レゾンデートル」は様々な場面で問われ続けてきた命題でした。そして今もなお、決着のついていない命題でもあります。というのも「レゾンデートル」は、人によって全く違うものだからです。それはむしろ、人間が存在する限り問われ続けていくものだと言えるでしょう。


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