「明鏡止水の心」とは?
「明鏡止水」は、「めいきょうしすい」、または「めいけいしすい」と読みます。「明鏡止水の心」とは、邪念やわだかまりがなく、澄み切って落ち着いた、静かな心のようすを言います。
「明鏡」はくもりや汚れのないよく映る鏡のこと、「止水」は波などの動きのない、静かに止まっている水のことで、心のようすをこれらにたとえた言葉です。
「明鏡止水の心境」、「明鏡止水の境地(に至る)」といった言い方で使われることもあります。
「明鏡止水の心」例文
- 大学受験が近づいたが、「明鏡止水の心」で臨めるよう、準備には万全を尽くすつもりだ。
- 昨年はいろいろなことがあって身辺が混乱したが、何とか落ち着いて、今年は「明鏡止水の心」で過ごしている。
「明鏡止水」の由来
「明鏡止水」は、『荘子(そうじ)』の「徳充符(とくじゅうふ)」に書かれている、「明鏡」と「止水」についての2つの話からできています。
『荘子(そうじ)』は、中国の戦国時代の宋(そう)という国の思想家である荘子(そうし)の著書です。
「明鏡」の由来
同じ師に師事している2人の人物のうち、身分の高い1人がもう1人を見下した態度をとります。そのとき、見下されたほうの人物が次のように言います。
鏡がみがかれていれば塵はつかない。塵がついていれば鏡がくもる。
素晴らしい師と長く一緒にいれば、鏡のくもり=よこしまな気持ちは消えていくものなのに、まだそんな心の状態でいるのか、と反論をしたのです。
「止水」の由来
足切りの刑を受けた人物のもとに、彼を慕って弟子入りをする人がたくさんいました。これはなぜか、孔子にその弟子が尋ねると、孔子は次のように言います。
人は流水を鏡に使うことはない。止まっている水を鏡とする。つまり、不動の心を得た者だけが、心の安らぎを求める者にそれを与えることができる。
止水のように穏やかな人は、周りにも安らぎを与えることができる。そのため、そのような人の周りには人が集まってくるものだ、と答えたのです。
「明鏡止水」類語
心頭滅却
「しんとうめっきゃく」と読みます。心を無にして、雑念を払い去ることです。「心頭」とは心の中、という意味で、「怒り心頭」という表現でも使われます。「滅却」は、すべてを無にすることです。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、心を無にすれば火でさえも涼しく感じる、苦しいことも苦しいとは感じなくなる、という意味です。
虚心坦懐
「きょしんたんかい」と読みます。心にわだかまりがなく、平静であることや、その状態で物事に臨むようすを言います。
「虚心」は先入観のない素直な心の状態、「坦懐」はわだかまりのない静かな気持ちを指します。「担懐」と表記するのは間違いです。
「明鏡止水」対語
疑心暗鬼
「ぎしんあんき」と読みます。疑う心があると、何でもないものも怖いと思ったり、怪しいと思ったりすることを言います。「疑心暗鬼を生ず」を略した言葉です。
「疑心」はもともとは仏教から出た言葉で、仏教の心理を疑う心を指します。「暗鬼」は暗闇の鬼の意味から転じて、妄想から起こる恐れや疑いのことを指します。
意馬心猿
「いばしんえん」と読みます。馬が走り回ったり、猿が騒いだりすることを止めることが難しいように、心が乱れるのを止めることができないで落ち着かないことを言います。
もともとは仏教用語で、「意馬」は静まらない心を奔走する馬にたとえたもの、「心猿」は同じように落ち着かない心を騒ぐ猿にたとえたものです。「心猿意馬」も同じ意味の言葉です。
「明鏡止水」を使った商品
「明鏡止水」という名の日本酒
長野県佐久市にある、1689年(元禄2年)創業の大澤酒造株式会社では、「明鏡止水」という名の日本酒を製造しています。大吟醸、純米酒、本醸造、純米吟醸などの種類があります。
邪念がなく澄み切った心のようすを指す「明鏡止水」のような日本酒を目指して命名されました。このお酒は、平成7、8、11~13、17、22年度の全国新酒鑑評会で、金賞を受賞しています。