「水入らずとは
「水入らず」は、このように、「家族や親戚など親しい者だけで集まっていること」から、「親しい者が集まって仲睦まじいさま」を意味する慣用表現です。
「水入らず」の使い方
「水入らず」は、おもに夫婦や家族など婚姻や血縁関係にある人たちに対して用いられます。単なる友達や同僚に使うことは稀でしょう。
[例文]
- 今年の正月は久しぶりに帰省して、家族水入らずで過ごした。
- 銀婚式をむかえる父母へ夫婦水入らずのサプライズ旅行をプレゼントした。
「水入らず」の類語
「水入らず」の類語には、「仲睦まじいさま」を表す次のような言葉が挙げられます。しかし、どの言葉も、使う対象が家族に限らないという点では異なります。
「懇ろ」
「懇ろ」(ねんごろ)には、「親身であること。心をこめるほど親密である」と「男女の仲が親密である」という2つの意味があります。多くの場合、後者の意味で使われるようです。
[例文]
- 幼なじみとはここ十数年、疎遠であったが懇ろに弔いをした。
- 彼女は職場の上司と懇ろの関係に陥ってしまった。
「和気あいあい」
「和気あいあい/和気藹々」は、「楽しく和やかな雰囲気に満ちているさま」を表します。「和気あいあい」はその場の様子を表すだけなので、初めて会う人同士に対してでも使うことがあります。
[例文]
- 両国は和気あいあいとした中で会議を行った。
- 旧友との久しぶりの再会で、和気あいあいとした時間を過ごした。
「睦み合う」
「睦み合う」(むつみあう)とは、「お互いに慣れ親しむ」という意味です。
[例文]
- 幼なじみたちと楽しく睦み合った。
- 親子が睦み合うさまは見ていても気が和む。
「水入らず」の語源
「水入らず」の語源にはいろいろな説があるようです。ここではその中の2つを紹介しましょう。
①「水と油」に由来するという説
水と油は互いに混ざり合うことがありません。ここから生まれたのが、相容れず仲が悪いことを表した「水と油」という慣用句です。
この「水」を部外者、「油」を親しい者に見立てて、水が入ることもなく油だけが融合している状態=親しい者だけが集まっている様子としたのが、「水入らず」の語源とされています。
②酒席での作法に由来するという説
酒の席では、自分が口を付けた杯(さかづき)を他人に渡す前には礼儀として水で洗います。受け取る側が「洗わなくていい」とそのまま杯に口を付けることで親愛の情を示したことから、水を入れない間柄=親しい関係を指すようになったそうです。
「水入らず」と「水が入る」「水を差す」
上で説明したとおり、「水入らず」とは水(=親しくない人)が入らないことですが、「水が入る」や「水を差す」はその反対に近い意味になるでしょうか。それぞれの意味と「水入らず」との違いを見ていきます。
「水が入る」とは
「水が入る」とは、「相撲で水入りになる」ことです。「水入り」は、主に「相撲で取組みが長時間に及んで、勝負がつかないため一時中断をして、再度取り組ませること」です。その際に両力士に与える水を「力水」と呼んでいます。
[例文]
- 千秋楽の大一番は熱戦により、両力士相譲らず水が入りました。
- 水が入る熱い戦いに観客は目が離せません。
「水を差す」とは
「水を差す」は、「水を加えて薄めたり温くする」という意味です。ここから派生して、「うまくいっている物事や仲の良い関係の邪魔をすること」を指す場合もあります。前者は料理などの手順を表す場合もあるので、必ずしもネガティブな含みがあるわけではありません。
[例文]
- 鍋が噴きそうなので水を差した。
- 白熱した議論に水を差すようで申し訳ありませんが、そろそろ会議終了のお時間です。
- 久しぶりに夫婦で休日を過ごしていたが、隣人の来訪に水を差された。
「水入らず」と「水が入る」「水を差す」の違い
「水が入る」は相撲用語ですから、「水入らず」と「水が入る」は反対の意味を表すものでないことが分かります。他方、「水を差す」は邪魔をすることですから、「水入らず」は「水を差されない状態」と言い換えることができるでしょう。