「尊敬の念」とは?
「尊敬の念」は、(そんけいのねん)と読みます。尊敬は(そんきょう、そんぎょう)と読む場合もありますが、一般的ではありません。「尊敬の念」は「尊敬」と「念」で構成されている慣用句ですので、まずはそれぞれの言葉を解説することから始めましょう。
「尊敬」の意味は大きく分けて2つあります。①人格、行動、見識、体験などの優れた人を尊んで敬うこと。②文法上、話者が聞き手、もしくは話題の人物を敬う言い方(尊敬語)。「尊敬の念」の「尊敬」は①の意味ですね。
「念」は、音読みが(ねん)、訓読みは(おもう)。①思い、考え、気持ち。②心にとめて忘れないこと、心配り。③念願、などの意味がありますが、「尊敬の念」の「念」は①が該当します。
したがって「尊敬の念」は、他者の人格やその行動、見識、体験などを優れていると尊び敬う気持ちという意味です。
「尊敬の念」の使い方
「尊敬」の対象は基本的に人間です。そのため、「尊敬の念」も同様に人間に対して用いることに留意する必要があります。
たとえば、ある組織が社会的に大きな貢献をする存在であったとしても、その組織に「尊敬の念を抱く」という使い方はできません。そのような場合は、「組織のリーダーや働き手の人々に尊敬の念を抱く」などの表現を用いましょう。
「尊敬の念」を使った定型文
「尊敬の念」には、いくつかの定型的な言い回しがあります。下記に、その例をいくつか挙げてみます。
- 尊敬の念を抱く
- 尊敬の念が湧く
- 尊敬の念を覚える
- 尊敬の念に堪えない
- 尊敬の念を禁じ得ない
「尊敬の念」の文例
- 恩師に出会ってからずっと尊敬の念を抱いてきた。教育者としても1人の人間としても優れているからだ。
- 鈴木君が毎朝公園のゴミ拾いをしていると聞いて、尊敬の念が湧いた。
- 誰かに尊敬の念を覚えるということは、自分もそのようになりたいということでもある。
- 医師たちの辺境医療活動に対し、尊敬の念に堪えない。
- 路上生活の方々への支援を長年続ける山田氏に尊敬の念を禁じ得ず、同じ道に入った。
「尊敬の念」の類語
「畏敬の念」の意味と使い方
「畏敬」は、偉大な人間や崇高なものに対して、心から畏れ敬うことを意味します。畏れとは、恐怖ではなく、畏まる(かしこまる)という意味です。尊敬の極まった感情と捉えて良いでしょう。
したがって、「畏敬の念」は「尊敬の念」に比べると、崇める感情に近くなります。それゆえに、人間を対象とする「尊敬の念」と異なり、神仏など人間を越えた存在、あるいは神格化されるようは大自然などにも用いることができます。
【文例】
- 戦争の悲惨さを世界に報道するために、危険を冒して戦地に入る記者たち畏敬の念を覚える。
- 神々が宿ると言われる聖なる山を、人々は畏敬の念で見上げていた。
「敬意」の意味と使い方
「敬意」(けいい)は、相手に対する尊敬の思い、気持ちを指しています。「意」という漢字が気持ちや思いを表していますので、「敬意の念」という使い方は誤りです。「意」と「念」という同じ意味の文字が重複してしまうからです。
「敬意」には、敬意を抱く、敬意を表する、敬意を払う、などのような定型的な言い回しがあります。いずれも、「尊敬の念」とくらべるとやや軽いニュアンスで用いられます。
【文例】
- 災害ボランティアを長年つづける山本氏には心からの敬意を表する。
- 渡辺先生の退職にあたり、卒業生たちが先生に敬意を払って謝恩の会を開いた。