「七転び八起き」の意味
「七転び八起き」を文字通りに解釈すれば「七回転んで八回起き上がる」こととなります。すなわち「多くの失敗にもめげず、その度に奮起して立ち上がること」の意味になります。また、転じて「人の世の中の浮き沈みが激しいことのたとえ」としても用いることができます。
ちなみに「七回転んで八回起き上がる」ときの「七」と「八」には特別な意味はなく、七回は「多くの失敗」のたとえとして使われています。「転ぶ回数と起きる回数の計算が合わないじゃないか」との議論も見受けますが、数そのものではない意味が存在します。他のことわざでいうと、「石の上にも三年」の三年はきっちり三年間を意味するわけではなくある程度の年月の意味ですし、「三日天下」の三日も三日間ではなくて短い期間のたとえです。
また、「七」には和語系の「なな」と漢語系の「しち」のふた通りの読み方がありますが、「七つ道具」や「春の七草」と同じく「なな」と読まないと誤りになります。どちらでもよいわけではありません。
「七転び八起き」の由来
語源については、仏教由来説や聖書由来説など諸説あります。前者は「倒してもすぐ起き上がる玩具が達磨大師を模しただるま像=七転び八起きの由来」とするもの。後者は「聖書に『正しいものは七たび倒れても、また起き上がる』という記述があるところから」とするものです。
実際のところ詳しくはわかりませんが、山本常朝(やまもと・つねとも)が武士としての心得を著した江戸時代の名著「葉隠(はがくれ)」の中に「七転び八起き」の言葉があります。
「浪人となって取り乱すようなことは言語道断である。幾度も浪人した経験がある成冨兵庫助(なりとみ・ひょうごのすけ)は『七度浪人せねば本当の意味での奉公人とは言えない。七転び八起きの精神でいるべきである』と言っていたという」
といった内容が書かれています。「武士道と云ふは死ぬ事と見附けたり」という武士道の精神につながる言葉だとすると、なにやら重くなってしまいますが、いずれにせよ江戸中期ごろに使われていた言葉なのは間違いないようです。また、起き上がりこぼしのだるま像が七転び八起きの縁起物として出回るようになったのも、享保ごろからだと言われています。
「七転八倒」と勘違い?
「七転八倒(しちてんばっとう)」と誤ってはいけません。「七転び八起き」を四字熟語にした「七転八起(しちてんはっき)」という言葉が存在するので、つい言い間違えてしまいそうですが、「七転八」までが共通するだけで、意味はまるで違います。「七転八倒」とは「大暴れするくらい痛み苦しむこと」です。
「七転び八起き」を使った例
「一度のエラーで気落ちしていても仕方ないさ。七転び八起きだよ」
「あの人は七転び八起きの精神で、事業をここまで拡大させたのだそうだ」
「七転び八起きの生き方が性に合っている」
「七転び八起き」の人生
世の中には「七転び八起き」を体現するような人生を送った人もいます。有名な人物を2人ほど紹介します。
広岡浅子
明治大正を代表する女性実業家の広岡浅子(ひろおか・あさこ)は、17歳で大阪の両替方・加島屋に嫁ぐと、明治維新の激動の時代の中、数々のピンチに見舞われながらも知恵とバイタリティーで事業を展開していった人物です。現在でも大同生命保険や日本女子大学などが、浅子の偉業を物語ります。また、「七転び八起き」をもじって「九転十起生」というペンネームを名乗っていたそうです。
カーネル・サンダース
ケンタッキー・フライド・チキンの創業者であるカーネル・サンダース(ハーランド・デヴィッド・サンダース)は、幼いころに父を亡くすと、その後自身の性格も災いしさまざまな苦労を重ねたそうです。数多くの転職(失敗による解雇)や倒産(大恐慌や火事による)を経験した後、フライドチキンのレシピのライセンス契約を広めることで、名を成すこととなりました。この時すでに年齢は60代でした。「七転び八起き」の末のサクセスストーリーです。