「痛恨の極み」とは?意味や使い方を例文を用いてご紹介

人生において、「痛恨の極み」と表現するような事態には、できればおちいりたくないものです。なぜなら、「痛恨の極み」とは、きわめて残念であることを指しているからです。今回は「痛恨の極み」の意味と使い方を、例文を含めてご紹介します。

目次

  1. 「痛恨の極み」とは?
  2. 「痛恨の極み」の使い方
  3. 「痛恨の極み」の例文
  4. 「痛恨の極み」の類語表現

「痛恨の極み」とは?

「痛恨の極み」は、「つうこんのきわみ」と読みます。たとえば、野球などの実況中継で、対戦相手に決定的な勝利を与えてしまうようなミスに、アナウンサーが「これは痛恨の極みです!」と叫んだりします。ここから、だいたいの意味は想像できますね。

「痛恨の極み」とは、きわめて残念なこと、おおいにうらみに思うこと、これ以上ないほどに悔やまれることを意味する言い回しです。

「痛恨」も「極み」も、たいへん強い意味をもつ言葉です。この二つの言葉で構成される言い回し「痛恨の極み」を正確に理解するために、まずはそれぞれの言葉の意味から紹介します。

「痛恨」の意味

「痛恨」とは、強くうらみに思う、たいそう残念に思う、これ以上ないほどに悔やむことを表しています。

「恨」は、「恨み」「悔恨」などの言葉からもわかるように、うらみや悔やみを表すお馴染みの漢字ですね。

一方、「痛」は、「痛み」という意味でさらに身近な漢字です。しかし、「痛」には「激しく」「非常に」という副詞的な用法もあります。「痛恨」では、「痛」は副詞的に用いられています。

「痛」を同じように使っている言葉には、「痛切」(つうせつ:ある感情をきわめて強く感じること)、「痛快」(つうかい:胸がすくようなたまらなく愉快な感情)、「痛烈」(つうれつ:きわめて厳しくせめ立てるさま、激しい働きかけ)などが挙げられます。

「極み」の意味

極みは、事象や感情のきわまるところ、つまりはレベル的に頂点に達したところ、という意味です。「痛恨の極み」のほかにも、「贅沢の極み」「歓喜の極み」「栄華の極み」「不安の極み」のように用いられます。

「痛恨の極み」の使い方

「痛恨の極み」に「恨」の文字があるからといって、他者への恨みが極まる、という意味ではありません。ここでの「恨」は、失敗や不運などに対しての恨めしい気持ちを表すものです。

また、「痛恨の極み」は、損害などを被った本人が無念さを表現するために用いる場合と、当事者以外が同情を表すときに使う場合があります。

「痛恨の極み」の例文

(A男)

昔、株投資していた会社が倒産して、株券がただの紙切れになったことがあった。まさに痛恨の極みだったよ。

(B子)

○○さんのお宅の家庭菜園が台風で全滅?丹精込めて手入れされていたのに、痛恨の極みですね。

(C男)

楽しみにしていたコンサートがアーティストの不調で中止になったのは、痛恨の極みだよ。

「痛恨の極み」の類語表現

「残念無念」

「残念」も「無念」もどちらもとても悔しいことを表す言葉です。「残念無念(ざんねんむねん)」は、同じ意味の言葉を重ねることで、非常に悔しくてたまらないこと強調しています。

【例文】
受験した大学にすべて落ちてしまって残念無念だ。
 

「慙愧に堪えない」

慙愧に堪えない(ざんきにたえない)とは、自分の行いや失敗を強く後悔し、きわめて残念に恥ずかしく思うことです。「慙愧」は、自分の行いや罪を反省して恥じるという意味で、「慚愧」と書かれることもあります。

【例文】
経営者として、会社倒産を回避するためとはいえ、大量のレイオフ(再雇用を条件とした一時解雇)を実施することは慙愧に堪えません。

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