「逃がした魚は大きい」とは?
「逃がした魚は大きい(にがしたさかなはおおきい)」とは、一度は手に入りそうになったものを失ってしまうと、惜しいと思う気持ちもあって、実際の価値よりも価値の高いもの(大きいもの)に見える、という意味のことわざです。
ほんの小さな三寸(およそ9cm)ほどの鯛でも、釣り上げることができずに逃がしてしまうと、目の下一尺(目から尾までの長さがおよそ30cm)もある大きな鯛だったと感じてしまうことから、このように言われます。
「魚」は「さかな」ではなく「うお」と読む場合もあります。また、「逃(のが)した魚は大きい」と表記されることもあり、同じ意味を表しますが、「逃(に)がした魚は大きい」という表記のほうが一般的です。
「逃がした魚は大きい」使い方
- 婚活を始めてずいぶん経つが、最初に出会った女性以上の人に出会うことができない。あのときは、きっともっと自分に合う女性がいると思って、彼女とあまり親しくならないうちに交際を断ってしまったのだったが、今思うと逃がした魚は大きかった。
- あのアーティストが今ほどメジャーになる前、ライブのチケットが手に入ったのに簡単に友人に譲ってしまったことがあった。今や、簡単にはチケットが取れない、プラチナチケットの代名詞だ。こんなことになるなら譲らなければよかった、逃がした魚は大きいとはこのことだ、と反省している。
- バーゲンで見つけたワンピースを、買おうかやめようか迷っているうちに他の人に買われてしまった。逃がした魚は大きかった。
「逃がした魚は大きい」類義語
逃げた鯰は大きく見える
「逃げた鯰(なまず)は大きく見える」とは、一度は手に入りそうだったのに手に入れることができなかったものは、実際よりも価値の高いものに思われて、悔しい気持ちになる、という意味のことわざです。
逃がした物に小さい物なし
「逃がした物に小さい物なし」とは、逃がしてしまったものは実際よりも大きく見え、小さいものはない、という意味のことわざです。
死ぬる子は眉目よし
「死ぬる子は眉目(みめ)よし)」とは、早くに亡くなってしまうような子どもは美しい顔立ちをしているものだ、という意味です。早くに亡くなった子どもをふびんだと思い、惜しんで使う言葉です。「眉目」は顔立ち、器量のことです。
死んだ子は賢い
「死んだ子は賢い」とは、死んでしまった子どものことは良いところしか思い出さないので、実際よりも賢かったり、可愛かったりしたものだと思い、惜しいと思う、という意味のことわざです。
「逃がした魚は大きい」英語での表現
「逃がした魚は大きい」を英語で表現すると、次の通りです。
- Every fish that escapes appears greater than it is.(逃げた魚は、実際よりもみな大きく見える。)
その他にも、次のような表現もあります。
- You should have seen the fish that got away.
- The fish you lose is always the biggest.
- The one that got away.
「逃がした魚は大きい」の反対表現:「酸っぱい葡萄」
「酸っぱい葡萄」とは
「酸っぱい葡萄(すっぱいぶどう)」は、有名なイソップ寓話(ぐうわ)の一つです。
お腹がすいている狐が、ある日、美味しそうな葡萄がたくさん実っているのを見つけます。ところが、葡萄は高いところにあるため、何度も跳び上がっても届かず、食べることができません。
狐は悔しくて、あの葡萄はきっと酸っぱくて美味しくないに違いない、と負け惜しみを言います。
手に入らなかったものへの負け惜しみ
「酸っぱい葡萄」の寓話は、自分が手に入れられなかったものを価値のなかったものとして自己正当化する、ということで、「逃がした魚は大きい」とはちょうど反対の意味を持つお話と解釈できますね。
このお話から生まれた英語の熟語の「sour grapes」、直訳で「酸っぱい葡萄」は、「負け惜しみ」という意味として使われます。