「色即是空」とは
まず「色即是空」とは、般若心経の中の基本教義を表す言葉で「しきそくぜくう」と読みます。この四文字の漢文を現代語訳に変換してみると「色すなわちこれ空なり」となります。「色とは空である」?私たちが普段使っている「色」と「空」を当てはめてみても、何のことだか全くわかりませんね。
「色即是空」の「色」
般若執行(仏教)が伝来したのは6世紀半ばと言われていますが、そのルーツをたどると、インドの古代語で書かれた経典に行き当たります。古代インド語で、「色」は「ルーパ」、形のあるもの、物質的なものをさします。
「色即是空」の「空」
「空」は「シューニャ」、何もないことや、数字の「0」をさします。ただし、ここで言う「何もない」とは、物が存在しないということを言っているのではなく、「そこに有るけれど、固定的に存在はしていない」という概念のことを言っています。
例えば、海を想像してください。あなたは今、海岸線に立って海を眺めています。確かにあなたの目の前には海は存在しています。しかし、その海の水をバケツに汲んだとします。すると、それまでは確かに海として存在していたその水は、バケツの中ではただの塩水となってしまい、もう海ではないのです。
つまり、海という状態での存在はあっても、それは海水の集合体であって、海という不変的・固定的なものは存在しないのです。この考え方が、「シューニャ」であり、「空」です。
「色即是空」の意味
これを先ほどの色即是空(色はすなわちこれ空なり)に当てはめてみると、「物質的なものは、すなわち、その現象として存在しているのみで、その存在は固定的なものではない」と解釈できます。「形あるもので、未来永劫存在し続ける物質は存在しない。万物は流動的に存在している」ということを意味しています。
「色即是空、空即是色」とは
実は、「色即是空」には「空即是色(くうそくぜしき)」という対になる続きがあります。この二つの言葉は般若心経の中で「色即是空、空即是色」という一連の文句としてあります。
「色即是空」では、「世の中に固定的な物質は存在しないので、どんな物でも流動的に変化する」と説く一方で、「空即是色」では、「流動的であるからこそ、あたらしく生まれることや、様々な物質として変化しながら存在することができる」と説いているのです。
「色即是空」の意思
最後に、少し大きなスケールで「色即是空」について考えてみましょう。「色即是空」という言葉で、お釈迦さまは私たちに何を説こうとしていたのでしょうか。
広い宇宙を想像してみる
広い宇宙を想像してみてください。宇宙を「色(物体)」だとすると、私たち人間は地球という宇宙の中のほんの小さな星の、さらにそれを構成しているとっても小さな要素の一つにしか過ぎません。私たちは宇宙の一部です。そして、同じようにあなたの目にするすべてのものが宇宙です。
しかし、私たちが宇宙の一部だからと言って、例えば自分一人だけを宇宙と呼ぶことが出来るでしょうか?それには、無理があります。自分単独では宇宙となり得なくても、私たちが目にすることのできる一つ一つのちっぽけな存在の気の遠くなるような集合体が宇宙なのです。なので、宇宙という不変の固定の物質は存在しないのです(これが「空」です)。同じようなことがこの世のすべてにおいて共通して言えるのかもしれません。
色即是空で何を説こうとしていたか
「色即是空」は、あなたも私も目に見えるものすべてが同じ宇宙という存在なのだから、この世のありとあらゆる生命を自分のことのように大切にしなさいということかもしれません。また、私事の悩みや争いごと等を宇宙規模で考えると、とても些細であってないようなものだから気にするな、ということかもしれません。もっと平たく言うと、あらゆるものを受け入れてあるがままに生きなさい、ということを説こうとしたのかもしれません。
いかがでしたでしょうか。「色即是空」を理解するということは、単に「色即是空」という言葉の意味を知ることではなく、般若心経や仏教の教えについて深く掘り下げ、心で理解することが本当の理解なのかもしれませんね。