「惻隠の情」の読み方
「惻隠の情」は「そくいんのじょう」と読みます。
「惻隠の情」の意味
意味
「惻隠の情」とは他者に同情する心です。かわいそうだな、不憫(ふびん)だなと哀れに思う気持ちのことです。
元々は儒教の言葉で、自分以外の誰かが不幸な目に遭っていることを見過ごすことができず、相手の立場になって同情する人間らしい感情の一つとされています。「惻隠の心」とも言います。
字義
「惻隠」は二つで一つの言葉ではなく、「惻」と「隠」にはそれぞれ特別な意味があります。
「惻」は心を測ると書きます。つまり、相手の心を推し量ること。他者をいたむ気持ちや同情心のことです。
一方の「隠」は隠すこと以外にも、「慇」に通じ、相手をいたむことも表します。寄り添って心配するとも言えますね。
「惻隠の情」の使い方
「惻隠の情」は会話文ではめったに使いません。文章中であっても大抵は「同情心」で済ませてしまうでしょう。「惻隠の情」を性格や傾向として使う場合には、同情しやすいという意味で「惻隠の情が深い」「惻隠の情が強い」と言います。
気持ちとして、より深い同情の意を表したいのであれば、「惻隠の情が募る」「惻隠の情を催す」「惻隠の情に打たれる」といった形で使います。その他「~湧く」「~起こす」「~動かす」なども見られます。
使用例
- 語れるほど親しい間柄ではないが、彼の表情からは惻隠の情の深さがうかがえた。
- ひねくれ者な性分だからか、今更になって不幸な身の上話など聞かされても惻隠の情を催すわけでもなく、騙そうとしているとさえ感じてしまう。
- 彼に惻隠の情など期待するだけ無駄だ。
「惻隠の情」の由来
前述の通り、「惻隠の情」は儒教の言葉です。儒教は『論語』を著した孔子の思想がもとになった倫理的な思想です。「惻隠の情」が出てくるのは、孔子の最大の弟子である孟子の言行が書かれた『孟子』の中です。
孟子は、人間は生まれつき善人であると考えました。そんな人間が生まれつき持っている四つの良い心を「四端(したん)の心」と呼びました。その一つが、「惻隠の情」です。
孟子によれば、「惻隠の情」は「仁(じん)」につながる非常に大切な気持ちです。「仁」は儒教で最重視されたもので、優しさや思いやりのことです。『孟子』でも「惻隠の心は仁の端なり」と書かれています。
「四端の心」
「惻隠の情」以外の「四端の心」について、大まかな意味だけ確認しておきましょう。
- 羞悪(しゅうお)の心…悪を恥じると書くように、悪いことを恥ずかしく思う正義感。
- 辞譲(じじょう)の心…謙譲や謙遜の心。
- 是非(ぜひ)の心…善悪を判断する思慮分別。
「惻隠の情」の類語
恕の心
儒教では「惻隠の情」以外にも思いやりを表す言葉があります。その一つが「恕(じょ)の心」です。これは儒教の祖、孔子の言葉として有名です。
『論語』の「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という文は多くの方が見聞きしたことがあるのではないでしょうか。これは「恕の心」について説明したものです。
ある人に一生守るべきものがあるとしたら何か、と問われた孔子は、「それは恕の心ではないか。自分がされたくないことは相手にもしてはいけない。」と答えたそうです。
慈悲
同情する心について、儒教では「惻隠の情」と言いますが、仏教では「慈悲の心」と言います。
「慈」はサンスクリット語の「maitri」に由来する言葉で、人類に平等に注がれる友愛です。キリスト教のアガペーに近いですね。「悲」は「karuna」という嘆きを意味する言葉が語源です。嘆いている相手とともに嘆くことで、同情を表します。