「冬来りなば春遠からじ」の意味
「冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなば・はるとおからじ)」は、冬が来たなら春までもうすぐだろう、という意味です。春が待たれるという心情を表した言葉です。
また、冬という厳しい季節を過ごしたらやがて暖かな春が来ることから、苦しい事を耐え忍べば必ず喜びいっぱいの幸せなときが訪れる、という例えとしても使われます。
今現在不幸な状態にあったとしても、いずれ幸せがきっと巡ってくるから、それまで耐え忍べ、という教えが込められています。
「冬来りなば春遠からじ」の文法
「冬来りなば春遠からじ」は、文語調の言葉です。あまり馴染みのない表現かもしれませんね。そこで、文を二つに分け、文法を整理してみましょう。
【冬来りなば】とは
【冬来りなば】を分解して文法を見てみましょう。
- 冬…名詞
- 来り…文語動詞「来(きた)る」の連用形
- な…完了の助動詞「ぬ」の未然形
- ば…仮定の接続助詞
よって【冬来りなば】は、「冬が来た」ということを仮定する表現になるため、「冬が来たならば」という意味になります。
【春遠からじ】とは
次に【春遠からじ】を分解して文法を見てみましょう。
- 春…名詞
- 遠から…文語形容詞「遠し」の未然形
- じ…文語の打消し推量助動詞
「遠い」を否定的に推量していますので、【春遠からじ】は、「春は遠くないだろう」という意味になります。
【遠からじ】と【遠からず】の違い
皆さんの中には、【遠からじ】は聞いたことがないけれど、【遠からず】なら聞いたことがある、という方もいらっしゃるかもしれませんね。そこで、ここでは【遠からず】の文法についても見てみましょう。
- 遠から…文語形容詞「遠し」の未然形
- ず…文語の打消しの助動詞
「遠い」を打ち消しているので、「遠くない」という意味になります。「遠からじ」が「遠くないだろう」と推量しているのと比べると、少し断定的な印象を受けるかもしれませんね。
「遠からず」は具体的には「当たらずといえども遠からず」などとして使われています。ぴたり正解ではないけれど、大体は当たっている、という意味ですね。
また副詞として、「この作品は遠からず世に出るだろう」のように、近いうちに、遠くない将来に、という意味でも使われています。
「冬来りなば春遠からじ」の例文と使い方
- 今年も2メートルを超える雪だが、冬来りなば春遠からじだ。もう少しの辛抱だね。
- 就職活動、本当に大変そうだね。冬来りなば春遠からじというから、何とかがんばれ。
- 赤字が続いているようだが、冬来りなば春遠からじだよ。
一番上の例文は、文字通り春を待ちわびる意味で使われていますね。下の二つの文は、苦しい事を耐えれば幸せが来る、と励ましの言葉として使われています。
「冬来りなば春遠からじ」の由来
「冬来りなば春遠からじ」は、イギリス・ロマン主義を代表する詩人、パシー・ビッシュ・シェリーの『西風に寄せる頌歌(しょうか)』の一節から来たと言われています。
『西風に寄せる頌歌』は、1819年10月に旅先のイタリアで、西風の吹き荒れる秋をうたった5つの詩の連作という形になっています。その結びの一節を以下にご紹介します。
(冬が来たなら、春はまだ遠いということがあり得るだろうか?)
『Ode to the West Wind』
「冬来りなば春遠からじ」の定着
アルヴィ宮本なほ子編『対訳シェリー詩集』によると、上記の一節からタイトルをとった、ハッチンソンの『If Winter comes』が映画化され、1925年に『冬来たりなば』というタイトルで上映されて以来、日本において「冬来りなば春遠からじ」が知られるようになったとのことです。
ちなみに、シェリーの妻メアリは、『フランケンシュタイン』で知られるイギリスの小説家です。メアリはシェリーの死後、遺稿の整理編集・出版に尽力しました。それにより、シェリーが評価が高まったと言われています。