「酔生夢死」の意味
「酔生夢死」とは、何か価値のあることを成し遂げることなく虚しく一生をおくること、生きている意味を自覚することなくぼんやりとただ生きているだけの一生を過ごすことを言います。読んで字のごとく、酒に酔ったような気持ちで生き、夢見てるような気持ちで死ぬという事です。
一般的に「すいせいむし」と読みますが、「無死」という漢字は誤りなので、気をつけてくださいね。
「酔生夢死」の使い方
意味の説明だけでは実際にどのように使われているのか、イメージがわきにくいかもしれませんね。「酔生夢死」の例文や引用を見てみましょう。
「酔生夢死」の例文
- 古稀(こき)を迎えて、このままではいけない、酔生夢死の人生だ、と自らの過去を振り返った。
- 妻に離婚届を突き付けられるまでは、酔生夢死の生活を送っていた。
人生を表す言葉として、生活、生き方、一生などという言葉とよく一緒に使われます。
「酔生夢死」の引用
小説などではどのように用いられているのか、以下にご紹介します。
『妄想』:森鴎外
『惜しみなく愛は奪ふ』:有島武郎
『紫大納言』:坂口安吾
※青空文庫出典
唾棄というのは、唾(つば)を吐き捨てること、嫌って軽蔑することを言います。酔生夢死の人生というのは、否定的で残念なものとして描かれているようですね。
一方、明治大学の齋藤孝教授は『すぐ使える!四字熟語』の中で、「酔生夢死」という言葉で思い出す人物として、勝海舟の父、勝小吉をあげています。腕っぷしが強く喧嘩三昧、道場破りも数知れず、遊郭通いに明け暮れ、37歳で隠居して「夢酔」と号した人物です。
意義あることを成し遂げたわけではないので「酔生夢死」の人生とも言えますが、「生涯ガキ大将」とも称された自由奔放な生き方には、虚しさではなく羨ましさを感じる人もいるかもしれませんね。
「酔生夢死」の出典
「酔生夢死」という表現は、古い中国の書物に見ることができます。中国の北宋(960~1127年)の思想家である程頤(ていい)の『二程文集』の「明道先生行状」に以下のような一節があります。
また日本においては、幕末に多くの人材を育てた吉田松陰(1830~1859年)の言葉に「酔生夢死」が残されています。
「酔生夢死」は、「何かこれだけはやり遂げたと思えることをやらなければ成仏できない」という吉田松陰の覚悟ある生き方とは対照的な生き方と言えそうですね。
「酔生夢死」の類語
- 無為徒食(むいとしょく):何もしないで毎日をむだに遊んで過ごすこと。
- 飽食終日(ほうしょくしゅうじつ):一日中飽きるほど食べ、他に何もせず過ごすこと。
- 走尸行肉(そうしこうにく):何の役にも立たない人のこと。
「酔生夢死」と同じように、虚しさが伝わってくる表現ですね。