「白羽の矢」とは?
「白羽の矢」は「しらはのや」と読みます。ワシなどの白い羽で作られた矢のことです。
白は、日本では聖なる色とされています。このため白い矢羽の矢は、神聖なものと見なされるのです。初詣などの縁起物「破魔矢(はまや)」は皆さんよくご存じでしょう。
白羽の矢を神聖な存在として扱った話には、次のようなものがあります。
能『賀茂』
賀茂神社の縁起を表現した能で、室町時代の能作者・猿楽師の金春禅竹(こんぱるぜんちく)の作とも言われています。
秦の氏女なる女性が、毎日のように賀茂川のほとりで水をくみ、神に供えていました。ある日、川上から一本の白羽の矢が流れてきました。それを持ち帰って家の軒に飾っておいたところ、秦の氏女は懐妊し、男の子を出産します。その矢は、別雷(わけいかづち)の神の化身であり、生まれた男の子の父親でもあったのです。
能『賀茂』の中で、白羽の矢は賀茂神社の御神体として扱われ、舞台上にも白い壇に突き立った白羽の矢が置かれています。
富岡八幡宮社伝
東京都の江東区に、富岡八幡宮という神社があります。寛永4年(1627年)に創建され、「深川の八幡様」として親しまれる、江戸最大の八幡様です。
社伝によれば、菅原道真の末裔であると言われる僧侶、長盛法印(ちょうせいほういん)が、「武蔵の國に永代島といふあり わが宮居せんところには白羽の矢たちたらん」という神託を受けます。これにしたがって白羽の矢が納められた祠を探し出し、そこに富岡八幡宮の社殿を創建したとされています。
このため、富岡八幡宮では、江戸時代から「元祖白羽の矢」「吉事当たり矢」「凶事祓い矢」として白羽の矢が授与されています。
「白羽の矢が立つ」とは?
「白羽の矢」は、「白羽の矢が立つ」という言いまわしで使われることが多い言葉です。「白羽の矢が立つ」は慣用句にもなっており、多くの人の中から選ばれることを意味しています。
現代では、力量が認められ、特別に抜擢されるような場合に使われるケースがほとんどですが、本来は「犠牲者」として選ばれることを意味していました。
「白羽の矢が立つ」は、良い意味でも悪い意味でも使うことができますので、用法には注意したほうがよいでしょう。
「白羽の矢が立つ」の語源
伝承によると、かつて日本では、水害や日照りなどの天災の際に、神へのいけにえが差し出されていました。人身御供を捧げることで、神の怒りを鎮めようとしたのです。いけにえには多くの場合、年端もいかない少女が選ばれました。
この、いけにえに選ばれた少女の家の屋根に、神が白羽の矢を目印として立てたと言われています。よって、「白羽の矢が立つ」のは、災いを鎮めるためのいけにえ、すなわち犠牲者として選ばれたことを意味したのです。
「白羽の矢」は、神が目印として「立てた」ものです。したがって、「白羽の矢が当たる」というのは間違った使い方です。同じ理由で、「白羽の矢が刺さる」「白羽の矢を当てる」という言い方も誤りです。
なお、「白羽の矢が立つ」は「白羽が立つ」と言われることもあります。
「白羽の矢が立つ」の使い方
- 次期PTA会長として、やる気十分のAさんに白羽の矢が立った
- なり手のいない次期PTA会長を決めるのに、人のいいBさんに白羽の矢を立てた
良い意味で「白羽の矢が立つ」を使っている1.に対し、2.では「犠牲者」的な意味合いで用いられていることがご理解いただけるかと思います。
「白羽の矢」のまとめ
本来は神聖な意味を持っていた「白羽の矢」。今では日常に即した使い方をされていることがわかりました。
「白羽の矢が立つ」という言葉には、良い意味と悪い意味の両方があります。自分がその状況に置かれたとき、どちらの意味で「白羽の矢が立った」のか考えることで、受け取り方も変わってくるのではないでしょうか。