「隣の芝生は青い」ということわざ
「隣の芝生は青い」とは、「他人の物は何でも良く見えてうらやましい」というたとえです。ここでいう「他人の物」とは、家や車などの所有物、または恋人や生活環境などを指すこともあります。
もともとは、” The grass is always greener on the other side.”(向こうの芝生はいつも青々として見える)という英語のことわざを和訳したものです。
また、同じ意味で「隣の花は赤い」という言葉もあります。「私の花より、隣の花の方が赤くてきれいに見える。うらやましい」ということですね。一般的には「隣の芝生は青い」を使うことが多いです。
「隣の芝生」とは
言葉としての「隣の芝生」
「隣の芝生」は、前述の通り、「隣の芝生は青い」ということわざで使われる言葉です。比喩表現として、「隣の芝生だよね」というように、単体で使われることはありません。
比喩ではなく、事実としての意味をご説明しますと、「隣」は「並び続いて接していること」、「芝生」は「芝を一面に植え付けてあるところ」という意味です。公園や庭などに茂っている草のことです。
テレビドラマ
1976年に、橋田壽賀子(はしだ・すがこ)脚本で「となりの芝生」というテレビドラマが放送されました。当時は、夫が稼ぎ妻は家事と子育て、というスタイルが一般的でした。専業主婦を主人公にしたこのドラマは、世の中の主婦の共感を集め、人気を博しました。
また、2018年の始めにも、「隣の家族は青く見える」というドラマが話題になりました。主人公夫婦の妊活、ゲイカップルの結婚についてなど、それぞれの人生の悩みが描かれていました。まさに、「隣の芝生(家族)」を覗き見るような物語だったのではないでしょうか。
ブログ
「隣の芝生」という、ある一般の主婦のブログが話題になりました。生活費のこと、夫との関係、子どもの役員会議のことなど、なかなか赤裸々に綴られています。その内容は明るいものではなく、読んでいて胸苦しくなるような、心の叫びが伝わってきます。
あまりにも流暢な文章であることや、都合の良い展開が頻繁に起きることから、「創作なのではないか?」と物議を醸(かも)しています。しかし、真偽のほどは定かではありません。
「隣の芝生」が青く見える時の例
生活レベルの差
類は友を呼ぶと言いますが、やはりあまりにもかけ離れた生活をしている人とは仲良くなりにくいものです。「月に一度、ファミレスでの外食が贅沢な人」、「毎日高級レストランで食事をしている人」、二人の価値観は全く違うことでしょう。
お金持ちの友人と比べ、質素に暮らしている自分が惨めに感じてしまい、次第に会うことが辛くなり、疎遠になってしまうことも多いようです。
既婚か未婚か
「仲良しの友達はみんな結婚しているのに、私だけ独身で辛い」と思ってしまう女性も多いようです。周りは次々と華やかな結婚式を挙げ、焦ってしまうこともあるでしょう。人生の幸せは自分で決められることですが、「結婚」という形にこだわる人はまだまだ多いようです。
また、結婚していても、「子どもがいるかいないか」「専業主婦か共働きか」など悩みは尽きません。どの立場にあっても大変な思いをする可能性はあるのですが、「隣の芝生」は青くみえてしまうのでしょう。
「隣の芝生」は気にしない
人と比べて落ち込んでしまうのは、当然のことでもあります。妬み嫉み(ねたみ・そねみ)を一切持たずに一生を過ごすのは、大変難しいことでしょう。
さらに、現代はSNSが普及し、身近な人の暮らしがすぐに覗けてしまいます。そのため、「いいなあ、私なんて」と落ち込みやすい環境になっているとも言えるかもしれません。
しかし、気にしすぎると生きることに疲れてしまいます。「泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生」ということわざがあります。「同じ一生を送るなら笑って愉快に過ごさなければ損だ」という意味です。自分の芝生を耕すことに集中すれば、人生はあっという間かもしれません。