「心が荒む」とは?
「心が荒む」(こころがすさむ)の意味を問われて正確に答えられないとしたら、その原因は「荒む」の解釈の難しさにあるのではないでしょうか。
「心が荒む」は、「心」と「荒む」の二語によって構成されていますので、正確に理解するために、この二つの言葉それぞれを最初に解説します。
「心」の意味
「心」はお馴染みの言葉ですが、辞書的な定義は、心理学用語なども含め実に多岐にわたります。理性、感情、意思などの働きの根底となるものとも定義できますが、一般的に「心」といえば、シンプルに「思い」や「感情」を指すと考えてよいでしょう。
「心が荒む」における「心」も、一般的な意味において用いられています。すなわち、「精神、心情、気持ち」のことです。
「荒む」の意味
「荒む」は、「荒」という漢字からも、ネガティブなイメージをもつことが推察されますね。「あれ・む」ではなく「すさ・む」と読むことも、ちょっと手ごわい言葉と感じさせます。多義的な言葉ですので、その代表的な意味をいくつか挙げてみましょう。
- 感情、行動、生活態度などに乱れが生じ、心の持ち方にゆとりなく、とげとげしく、捨て鉢な荒れた気持ちになる。
- 心が荒れたり、集中や努力が出来なくなる結果、仕事や芸の技量や質が低下する。
- 雨や風などの勢いが増し、激しくなる。(他の動詞の連用形に付く。例:吹きすさむ)
ほかにも様々な意味がありますが、そのほとんどは現代日本語では使われません。上記の3つの意味を理解しておけば、「荒む」を使いこなすことができるでしょう。「心が荒む」における「荒む」は、1の意味が該当します。
「心が荒む」の意味
「心」と「荒む」で構成された「心が荒む」は、したがって次のような意味をもつ言い回しであるといえます。
なんらかの状況により、精神や気持ちが落ち込み、あげくやけを起こしたり、荒々しくとげとげしい感情に苛まれる。行動や生活態度も乱れ、投げやりになったり、荒れた状態を呈する。
「心が荒む」の使い方
「心が荒む」状態は、心も行動も生活態度も、ふさぎこんだり、荒れて投げやりになったりであることがわかりました。使い方における注意点は、「荒む」状況にあります。たんに落ち込んだり、ふさぎこむことは「心が荒む」と表現しません。
なにかが起こり、泣く、怒る、気分がふさぐなどネガティブな状態にある人は、「心が荒んでいる」かもしれませんが、そうでない可能性もあるからです。実は反省しているかもしれませんし、ストレスを発散しているだけかもしれません。
「心が荒む」とされるには、前述のようなネガティブな感情に加え、もうどうなってもいい…など、まわりにも自身にも投げやりな態度をとるニュアンスがあることがポイントです。
「心が荒む」の文例
- 受験した大学のすべてが不合格となった鈴木君は、すっかり心が荒み、些細なことで友人たちにからみ続けたあげく、部屋に閉じこもってしまった。
- 離婚してシングルマザーとなった涼子さんは、一時期仕事を休んでお酒に浸り、心が荒んだ生活を送っていたが、子どもたちのためにと立派に立ち直った。
- 役者の卵の恵美さんは、何度もオーディションに落ちて心が荒みかけたが、投げやりになる自分に嫌気がさして再起し、ついに大きな役を勝ち取った。
「心が荒む」に似た表現
「捨て鉢になる」
「捨て鉢になる」は、「すてばちになる」と読みます。意味は「思うようにならなくて、もうどうにでもなれ、という投げやりな気持ちになること。やけになること」。
ここでの「鉢」は「托鉢」(たくはつ)の「鉢」です。「托鉢」とは、仏教の出家者の修行のひとつで、僧たちは生活に必要な食糧などを乞うために、鉢をもって信者や人々の家を巡ったり、街を歩いたり、あるいは街のなかに立ちます。
これは、信者や人々に施しという功徳を積ませるための修行です。とはいえ、辛さから修行を放棄する出家者や僧侶もいます。その断念を「鉢を捨てる」と表現し、そこから転じて、「捨て鉢になる」が「投げやりになる」を意味するようになったのです。
「捨て鉢になる」の文例
- どんなに頑張っても営業成績がいつも最下位の田中君は、とうとう捨て鉢になって会社をやめてしまった。