「筆舌に尽くしがたい」とは?
「筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい」とは、文章や言葉では十分に表現しきれないくらいに物事の程度が甚だしいことを意味する言葉です。
「筆舌」は、文字通り「筆」=「文章で書くこと」、「舌」=「口で言うこと」を意味しています。「尽くしがたい」は、「尽くし難い」ですから、「筆舌に尽くしがたい」=「文章や言葉では表現するのが難しい」と解釈するのは、難しいことではありませんね。
「筆舌に尽くしがたい」の使い方
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の響きからでしょうか?ネガティブなニュアンスで使う言葉だと思っている方も多いようですが、この言葉自体には、「程度が甚だしい」という意味しかありません。よって、対象となる事柄の良し悪しに関わらずに用いられます。
【例文】
- まさに眺望絶佳(ちょうぼうぜっか)!この光景の美しさは筆舌に尽くしがたいね。
- 戦災ですべてを失った彼は、筆舌に尽くしがたい苦労の末、一代であの大企業を興した。
「筆舌に尽くしがたい」の類語
「名状しがたい」
「名状(めいじょう)しがたい」という言葉があります。「名状」とは、「状態や様子を言葉で言い表すこと」を意味する言葉です。
【例文】
- 名状しがたい怒りに、黙って身を震わせることしかできなかった。
- 360度が見渡せる山頂で飲むコーヒーは、名状しがたい美味しさだ。
- 大型台風が通過した後の街は、名状しがたい惨状だった。
「名状しがたい」も、「筆舌に尽くしがたい」と同様に、ポジティブな意味にもネガティブな意味にも使うことができます。
「えも言われぬ」
「えも言われぬ」は、「言い表すこともできないほどに優れている」という意味の言葉です。通常、「筆舌に尽くしがたい」のようにネガティブなニュアンスでは用いられません。
【例文】
- その花は、えも言われぬよい香りを周囲に漂わせていた。
- 久々に帰った故郷の駅からの風景に、えも言われぬ感動を味わった。
「目を覆うばかりの」
「目を覆う(おおう)ばかりの」という言葉も、程度が甚だしい状態を形容するのに用いられます。この言い回しは、ネガティブな意味でのみ使われます。
【例文】
- 大学時代に、一人暮らしをしている友人の部屋を訪ねたんだが、その汚いこと。目を覆うばかりの惨状だったよ。
- 震災を受けた町を取材すべくヘリコプターで飛んだ記者の目の前に、目を覆うばかりの光景が広がっていた。
「筆舌に尽くしがたい」の英語表現
「筆舌に尽くしがたい」の英語表現をいくつか挙げておきましょう。最もよく知られているのは、1の"beyond description"です。
【使用例】
- The beauty of the scene was beyond description.(その景色の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあった)
- The mountain before us is too beautiful for words.(我々の眼前にある山の美しさは、筆舌に尽くしがたい)
- Words cannot describe the damage from the flood.(水害の被害は筆舌に尽くしがたいものがある)
どの表現も、直訳すると「言葉(表現)を超えている」となります。日本語、英語ともにこのような表現があるのは興味深いですね。
「筆舌に尽くしがたい」エピソード
俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)の俳句に、「島々や千々にくだきて夏の海」という句があります。これは日本三景の1つ、宮城県松島の景色の美しさを表現したものです。
しかし、美しい風景を前に、芭蕉の頭には様々な言葉が浮かんでは消えたのでしょう。結局、芭蕉は、松島では俳句を詠むことができずに夜も眠れないほど悩んでいた、と弟子の河合曾良が書き残しています。「筆舌に尽くしがたい」とはまさにこのことですね。
ちなみに、芭蕉の作句のように思われがちな「松島や ああ松島や 松島や」という句は、実は、同時代の狂歌師・田原坊(たわらぼう)であると言われています。
「筆舌に尽くしがたい」まとめ
美しい風景や痛ましい光景を前にしたときなど、詩人や歌人は言葉に、画家は絵筆に感情や苦痛を託します。現代では多くの人がスマホで撮影します。しかし、それらの表現が、感じたリアルに届くとは限りません。
「筆舌に尽くしがたい」という語は、松島における芭蕉のように、夜も眠れぬほど表現を練っても感動を伝えるには至らない、という無念さのこもった言葉とも言えるでしょう。