「錯覚を覚える」とは
「錯覚を覚える」、この言葉に含まれている「錯覚」に着目してみましょう。勘違いや思い込みのことでしょう?というという声が聞こえてきそうですが、突き詰めてみると2つの意味に分かれます。これらの定義について、詳しく見てみましょう。
錯覚
【錯覚とは】
- 特別な条件下で、客観的な事実を通常とは違った風に知覚する、という心理学用語。
- 1から転じて事実とは違うことを本当だと思い込むこと。
この説明だけで「錯覚」を完全に理解するのは難しいでしょう。1の心理学用語の方は、誰にでも起きうる感覚器官における知覚のことを示唆しています。目の錯覚などがそうですね。一般化している2の方は、個人的な解釈の仕方や価値観のズレです。
たとえば身長160cmの少年が、200cmの大男に見えたなら1の錯覚です。一方で、少年が160cmなのはわかっているけれど、雰囲気がまるで大男のようだと解釈するなら2の意味となります。
錯覚を覚える
「錯覚を覚える」は思い違いをしているという意味で使われています。この中には「覚」の字が2度も使われています。あまり見栄えが良くないですね。
このように、同じ意味の言葉繰り返すことを重言(じゅうげん、じゅうごん)と言います。重複表現や二重表現といった方がわかりやすいでしょうか。
現在では、一部の重言は強調表現として受け入れられつつありますが、その多くは間違った日本語とみなされています。同じ意味なら繰り返さずとも一度で良い、ということですね。読者が違和感を催す、ストレスの原因となる、リズムが悪くなるといった悪影響があるためです。
「錯覚を覚える」の場合では、「錯覚」という二文字に、すでに知覚する・感じるという意味が含まれています。そして「覚える」はここでは感情や感覚を感じるという意味です。よって、これは典型的な重言と言えるでしょう。
「錯覚を覚える」の使い方
「錯覚を覚える」は次のように使われています。ほとんどの場合「~のような錯覚を覚える」という形で使われます。
- 初めて来た場所なのに、まるで故郷に来たような錯覚を覚えた。
- 彼らは血のつながりのない私にも、分け隔てなく接してくれて、家族の一員であるような錯覚を覚える。
- まるで現実であるという錯覚を覚えるくらいリアルな絵だ。
「錯覚を覚える」の修正例
「錯覚を覚える」は正しくない日本語とみなされています。では、どのように修正すれば正しい日本語となるのでしょうか。先に挙げた例文を修正してみましょう。
修正例1
最初の例文を修正すると、例えば次のようになります。
ここでは「錯覚を覚える」を「錯覚を抱く」としています。「抱く」は考えや感情をもつという意味です。
錯覚を持っているのであれば「抱く」で問題ないでしょう。「抱える」としてしまうと厄介なものを持て余しているように感じるので、ここではやや不適当でしょう。
修正例2
2つ目の文は次のように修正できます。
この文での錯覚は家族の一員のようだと思われることです。「錯覚を覚える」を「錯覚に陥る」と変えています。ちなみに「陥る」は悪い状況にはまり込むこと、策にはまることというニュアンスがあります。
修正案3
最後の文はどうなるでしょうか。一例をあげます。
「錯覚する」と「錯覚させる」は最もシンプルな形です。表現に迷ったときはこれらを使うといいでしょう。今回の文では絵が主題なので、「錯覚させる」としています。自動詞なら「錯覚する」ですね。
その他の言い換え
その他の言い換えには「錯覚を起こす」「錯覚を生じる」などがあります。どちらも錯覚という状態にあることを示唆しています。
このほか、悪いニュアンスを含んだ言い換えとして、「錯覚に襲われる」や「錯覚に囚われる」があります。前者は錯覚で苦しい目、怖い目にあっている時に、後者は錯覚から抜け出せない時の表現に適しています。
一方で、心地よい夢を見ているような錯覚なら「錯覚にひたる」ともいえます。自分から進んで錯覚に入り込んでいるような印象を与えます。
珍しいところでは「錯覚を催す」や「錯覚を感じる」があります。催すは感情を起こす、促進するという意味です。