「傍若無人」の意味
「傍若無人」は「ぼうじゃくぶじん」と読むのが正解で「ぼうじゃくむじん」は誤りです。主に以下の2つの意味で使われます。
1.周囲に人がいることを意識することなく、精神が自若として落ち着いていること。
2.周囲の人を眼中に置かず、あたりかまわず勝手気ままにふるまうこと。
現在では「2.あたりかまわず勝手気ままに…」という意味で使われることが多いかと思われます。メディアの記事の中で使われる場合は、暴走して周りの人間に多大な迷惑をかける人、というくらいの強い意味を持っていることが多いです。
「傍若無人」の現代的な使用例
「傍若無人」を現在の会話の中で使うとすれば、どうでしょう。以下に例を挙げてみます。
「周囲に人がいることを意識することなく…」の例
・無責任な発言にいちいち構っていられず、傍若無人の体(てい)を決め込んだ。
・執筆作業に集中している彼は、まさしく傍若無人で誰にも邪魔ができない。
「あたりかまわず勝手気ままに…」の例
・若者たちのあまりの傍若無人な運転に、冷や汗が止まらない。
・傍若無人な社長の手法には、取引先からブーイングの嵐だ。
「傍若無人」と似た意味の言葉
「傍若無人」と同じような意味の言葉も多くあります。例えば「勝手気まま」「得手勝手」「好き勝手」「自分勝手」「傲岸不遜(ごうがんふそん)」「厚かましい」「野放図」「やりたい放題」などです。最近では「俺様系」という言葉も、「傍若無人」と同じような意味で使われています。
「傍若無人」の由来
「傍若無人」は、中国の歴史書に由来する言葉・言い回しです。漢文として読み下しをすると「傍(かたわら)に人(ひと)無きが若く(ごとく)」となります。そのままの意味は「あたかも近くに誰もいないかのように」です。テキストによっては「傍」に人偏がない「旁」のときもあります。出典がいくつかあるので、見ていきましょう。
史記では
「史記」は中国の前漢の時代に司馬遷が編纂した、中国の公式な歴史書です。その中の刺客列伝に「傍若無人」の表現が登場します。荊軻(けいか)という人物が「傍若無人」であった、という部分です。
酒を飲むことが好きだった荊軻は、非凡で変わったところもあったようです。筑(楽器の名)の名手である高漸離と酒を飲んだ時のこと、筑に合わせて歌ったりして楽しんでいるかと思えば、突然泣き出したりするなど「傍若無人の者(もの)」であった、というエピソードが書かれています。
ちなみに、数世紀のちに書かれた後漢書・列伝の延篤(えんとく)のところにも、この荊軻のエピソードが引用されていました。
晋書では
「晋書」とは、中国が唐の時代に、晋王朝時代の歴史について書かれた歴史書です。列伝の謝尚(しゃしょう)伝という、こちらも謝尚という人物のくだりで登場します。
謝尚が司徒王導(おうどう)に初めて謁見した際、王導の求めに応じて、踊りを披露しました。その心のままの身のこなしが「傍若無人」であったといいます。謝尚の飾り気、こだわりのなさはこのようであったというエピソードでした。
「傍若無人」と同じ「史記」由来の言葉
日本では藤原宗忠の日記「中右記」(ちゅうゆうき)の保安元年(1120年・平安時代)7月のところに、すでに「傍若無人也」という記述があります。ですから、日本でもかなり古くから使われていた言葉のようです。かつての中国文化が日本に与えた影響の大きさが、「傍若無人」という言葉ひとつからも垣間見えます。
史記だけに限定しても「傍若無人」の他に多数の成句・ことわざ・熟語が、現在の日本でも使われています。最後に、いくつか例を挙げてみます。
三年飛ばず鳴かず・鳴かず飛ばず
一家言(いっかげん)
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
手を拱(こまね)く
背水の陣
屍(しかばね)に鞭(むち)打つ
春秋に富む
怒髪(どはつ)天を衝く