「鯨飲馬食」とは?意味や使い方をご紹介

「鯨飲馬食(げいいんばしょく)」とは、一度に大量のものを飲食することを表す四字熟語です。江戸時代から明治時代にかけて日本で広まりました。「暴飲暴食」と違い、誉め言葉としても使われます。この記事では、「鯨飲馬食」の意味や使い方を詳しくご紹介しています。

目次

  1. 「鯨飲馬食」の意味
  2. 「鯨飲馬食」の由来
  3. 「鯨飲馬食」の使い方
  4. 「鯨飲馬食」の類語
  5. 「鯨飲馬食」のまとめ

「鯨飲馬食」の意味

「鯨飲馬食(げいいんばしょく)」とは、一度のに非常に多くのものを飲み食いすることを表す四字熟語です。「鯨飲」はクジラ(鯨)のように大量に飲むこと、「馬食」は馬のように大量に食べることを指しています。

「鯨飲馬食」の由来

「鯨飲馬食」は、「鯨飲」と「馬食」の2つの二字熟語が合わさってできた四字熟語です。1700年頃から日本で使われ始めた言葉で、中国語では使われていませんが、「鯨飲」・「馬食」それぞれの由来は中国の文献にあります。

「鯨飲」の由来

「鯨飲」の由来は、中国の詩人・杜甫(とほ:712年~ 770年)の『飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)』の次の部分です。
 

左相日興費万銭
如長吸百川
銜杯楽聖称避賢

(李適之は)左丞相の地位にある人物であるが、毎日大金を費やし、大鯨が百の川の水を吸い込むような飲みっぷりで、清酒は飲むが濁酒は飲まないと称している。

『飲中八仙歌』は当時の酒豪8人の酔態を詠んだもので、上記は李適之(り てきし)について詠われた部分です。

李適之は一斗(いっと:約18リットル)の酒を飲んでも酔うことがなく、宴会をとても好み、夜に大量のお酒を飲んでも翌日の業務に一切差し障ることがなかったと言われています。

「馬食」の由来

「馬食」の由来は、司馬遷(しばせん)が編纂した歴史書『史記』の「范雎伝」(はんしょでん)に書かれている次の箇所です。
 

令両黥徒夾而馬食

刑罰として、箸を使わずに馬が餌を食べるように口で食べさせた

范雎は魏の国の民でしたが、宰相の魏齊(ぎせい)と須賈(しゅか)に冤罪をかけられ、瀕死の重体となった後に国を追われた恨みがありました。

その後、范雎は秦の昭王に認められ宰相になり、そこへ須賈が訪れたので、報復のために跪かせて草と豆をまいて馬のように食べさせながら「魏王に告げよ。魏齊の首を差し出せ。さもなくば国を亡ぼすぞ。」と言ったとされています。

上記の一文において「馬食」は、刑罰として馬のように地べたにまかれたものを口で食べさせたという意味で用いられており、「馬食」にたくさん食べるという意味が無かったことがわかります。現在でも、中国では「馬」に「大食い」のイメージはないそうです。

「鯨飲馬食」の使い方

「鯨飲馬食」は、多くの食べ物やお酒を飲み食いするという意味では「暴飲暴食」と共通していますが、「暴飲暴食」とは違って誉め言葉としても使われる言葉です。例文を見てみましょう。

「鯨飲馬食」の例文

  • 「鯨飲馬食」の日々の結果、逆流性食道炎になってしまった。
  • 本当の金持ちは、「鯨飲馬食」とは無縁のつつましやかな食事を好む。
  • 子どもの頃から大食いだった私は、「鯨飲馬食」なんて金がかかるばっかりだと母に言われて育ったが、今ではフードファイターとしてテレビで活躍している。
  • 大皿の料理を次々と平らげる彼の「鯨飲馬食」の食べっぷりには、清々しささえ感じられる。

「鯨飲馬食」の引用

“胃袋を大切にしなさい。胃袋を。大学をでる。役人になる。一週五回以上の鯨飲馬食に耐えねばならぬ。頭は必要ではない。中国、ニッポン、朝鮮。主として胃袋のぜい弱なる者は指導者の位置につけない国。”
『安吾巷談 教祖展覧会』坂口安吾

「鯨飲馬食」の類語

  • 牛飲馬食(ぎゅういんばしょく)
    意味:多くのものを飲み食いすること。
  • 痛飲大食(つういんたいしょく)
    意味:多くのものを飲み食いすること。
  • 暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)
    意味:度を越して飲食すること。

「鯨飲馬食」のまとめ

「鯨飲馬食」が使われ始めたとされている江戸時代後半の時期、日本は「浅間山噴火」や「天明の大飢饉」にみまわれるなどの不幸もあり、決して飽食の時代ではありませんでした。

お腹いっぱい飲み食いすることから縁遠かった時代に、たくさん飲み食いすることを意味する「鯨飲馬食」という言葉が広まった背景には、「鯨」や「馬」の大きくて強いイメージに、当時の人々のお腹いっぱい飲み食いすることへの夢や憧れあるのかもしれませんね。

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