「九死に一生」の意味
死にそうになるほどの危険な目に遭って、かろうじて命が助かることを言います。なお、「九死に一生」の中に出てくる「九」と「一」については、以下の解釈があるようです。
数字の「九」
一つ、二つ、三つ…という数字の「九」という意味で、全体を十としたときに「九」が死、「一」が生とする解釈です。十割のうち九割が死、一割しか生きられる可能性がないという絶体絶命の状況で、かろうじて命が助かる、ということです。
多数としての「九」
「九」には、「九つ」という単純な数字を表すものの他に、数や程度の多い事を表す意味があり、そこから「九死」の「九」は数の中の最大限を意味する、とする解釈もあります。「九死」は何度も死ぬこと、「一生」はやっと生き延びることを意味します。
ちなみに、こうした多数を表す「九」の使い方は、「九仞(きゅうじん)」=高さが非常に高いこと、「九折(きゅうせつ)」=坂道などで曲折が多いこと、といった表現にも見られます。ことわざでも「九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)」という表現があり、多数の牛の中の一本の毛すじ、すなわち多数の中のごく一部分を表す例えとして使われています。
「九死に一生」の例文と使い方
- 急に胸が苦しくなって倒れたのだが、心筋梗塞の緊急手術を受け、手術は無事成功に終わった。幸い倒れたのが、母の付き添いで行っていた病院内だったので、九死に一生を得たのだ。
- 猛吹雪の中を運転中、交差点で大型トラックが突っ込んできた。一瞬にして死を覚悟したが、九死に一生で、腕の骨折だけで済んだ。
- 祖父は激戦の南洋の島から九死に一生を得て帰国することができたそうだ。
危ない瀬戸際をかろうじて助かった場合に使われていますね。なお「九死に一生」は「九死に一生を得る(える/うる)」という形でも用いられます。
「九死に一生」の用例
「九死に一生」は、源経頼の日記『左経記』(1031年)の他、曲亭馬琴(滝沢馬琴)の『椿説弓張月』、浄瑠璃『廓景色雪の茶会』、禅僧白隠の『辺鄙以知吾』など江戸時代の思想書、文芸類にも数多く見られます。また芥川龍之介の作品『疑惑』にも登場しています。
※青空文庫より
中国の書物では、後漢の劉良の『五臣注文選』の中に、屈原の『離騒』の一文に対する注釈として以下のような表現があります。
これは、「自分の心を正しく潔くしているのなら、苦しい目に遭い何度も死ぬような思いをして、命がなくなったとしても、悔いるものではない」といった意味です。
「九死に一生」の類語
「九死」の「九」が他の数字にかわった表現としては以下のものがあります。
- 十死一生
- 万死一生
- 万死の中に一生を得
- 万死を出でて一生に遭う
また少し形が違う類似表現もあります。
- 死中に活を求める
これは、死ぬしかないような絶望的とも言える状況の中で、それでもなお生きる道を探し求めることを言います。追い詰められた場合に、必死で打開策を見いだそうとすることの例えです。
また日常的には以下の慣用表現も聞きなれたものかもしれませんね。
- 命拾いをする
これも、危ういところで何とか命だけは助かる、という意味です。また様々な場面において、窮地を脱した際にも用いられる表現です。
「九死に一生」の英語表現
- have a narrow escape from death(ぎりぎりのところで逃れる)