「元の木阿弥」の意味
「元の木阿弥」(もとのもくあみ)とは、一時期は良かった状態が再び元に(悪い状態に)戻ってしまうことです。
「元の木阿弥」の使い方
「元の木阿弥」を使う場合、より良い状態にしていったのにも関わらず、それまでの努力や精進を怠って元に戻ってしまう、せっかくやってきた今までのことが無駄になってしまうことを表すことがしばしばです。
周囲の人が「元の木阿弥」と嘲った(あざけった)り噂したりする場合や、親しい人が元に戻らないようにと、ふざけて軽口を叩く場合もあります。自分の失敗を自虐的に表現する時にも「元の木阿弥」と言うこともできます。
「元の木阿弥」の例文
- 彼は競馬で大損して賭け事をやめたのに、今度は競艇に夢中になって元の木阿弥になっている。
- なーんだ、彼とよりを戻したんだ。元の木阿弥にならないように、今度は長続きしてね。
- せっかくダイエットに成功したのにリバウンドしちゃった…。がっかりだよ、元の木阿弥だ。
「元の木阿弥」の語源
「元の木阿弥」の語源は諸説あります。最も有力な説をひとつと、その他の説3つをご紹介します。
最も有力とされる説:筒井順昭の身代わりの男
「元の木阿弥」の成句が出来たのは、大和国(やまとのくに)の戦国大名「筒井順昭」(つついじゅんしょう)の替え玉になった僧侶の名前が「木阿弥」だったからという説が最も有力視されています。
順昭が病気で亡くなったのは数え年で28歳と言われています。その時、跡継ぎの「藤勝(ふじかつ)」(後の「筒井順慶」)は2歳。幼い嫡子(ちゃくし)では、周囲の戦国大名につけこまれ、攻め入られて筒井氏が滅亡する恐れがあります。
そこで、死に瀕した順昭は親族や家臣を集めて忠誠を誓わせました。敵を欺くために自分とよく似た僧侶「木阿弥」を身代わりにして死を隠す策を立てます。
木阿弥は、身代わりの間は「筒井順昭」として贅沢な生活をしていましたが、筒井順慶が成人して後を継いでから用済みになり任を解かれます(身代わり期間は順昭の死後1年、もしくは3年後という説も)。再び僧侶の身分となり「元の木阿弥」の暮らしに戻ったのです。
その他の説:①かつては立派な僧侶
「元の木阿弥」の語源説の1つに、立派に苦しい修行をした僧侶が俗人の生活に戻ってしまって、周囲の人から「修行が無駄になった」と嘲られたという言い伝えがあります。
妻と離婚して出家し、木食(もくじき)の修行(意味:一切の穀物を食べずに木の実だけを食べる修行)をしていた男がいました。周囲からは「木食上人(もくじきしょうにん)」「木阿弥」などと称されて一目置かれていました。
しかし、年齢を重ねて弱り、修行が滞りがちになりついには妻の元に戻ってしまいます。このことから、多くの人が嘲って、この僧のことを「元の木阿弥」と呼ぶようになったとされます。
その他の説:②せっかく入手した号を覚えてもらえなかった
「元の木阿弥」の由来については、名前をめぐるエピソードもあります。農民の木工兵衛(もっこうべえ)は、僧侶にお金を渡して「何々の阿弥(あみ)」という立派な号(ごう:名前のこと)を付けてもらいました。
しかし、せっかくお布施をして僧に新しい立派な名前を付けてもらったのにも関わらず、木工兵衛が村の人に言っても新しい名前を覚えてもらえませんでした。
それどころか、今までの名前をそのまま呼ぶか、もじって「木工阿弥」(もっこうあみ)と呼ぶ始末。せっかく良い名前を買っても、昔の名前に戻って無駄になってしまうということから、「元の木工阿弥」が縮約され「元の木阿弥」という言葉が出来たと言われています。
その他の説:③「元の木椀」が転じた
「元の木阿弥」は「元の木椀」(もとのもくわん)という成句が転じて変化した語という説もあります。「元の木椀」は、良くなった物が元の良くない状態に戻るという意味で、「元の木阿弥」と意味がほとんど同じです。
「元の木椀」の由来は、朱塗りのお椀の塗りの部分が剥がれたことがもととなっています。使っているうちに塗りが落ちてきて、もともとの木の地色が現れて、元の貧相な木のお椀に戻ってしまったことから来ています。