「冷めやらぬ」とは?
「冷(さ)めやらぬ」は、動詞「冷める」の連用形に、動詞「遣る」の未然形が付き、それに打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」で構成された言い回しです。
「やらぬ」は「遣らぬ」と書き、物事がまだ終わりきらない、何かをしきれていない状態を意味します。したがって、「冷めやらぬ」はまだ冷めきっていない状態ということになります。
「冷めやらぬ」は辞書にない?
辞書で「さめやらぬ」と引くと、「覚めや(遣)らぬ」や「醒めやらぬ」はありますが、「冷めやらぬ」は見当たりません。
では「冷めやらぬ」が誤りであるかといえば、そんなことはありません。上に示したように、動詞「冷める」に連なる言い回しと考えて、意味や使い方に疑問はないからです。
「冷めやらぬ」と「覚めやらぬ」「醒めやらぬ」との使い分けは、後ほどご紹介します。
「冷めやらぬ」の使い方
「興奮冷めやらぬ」
「冷めやらぬ」は、多くは「興奮冷めやらぬ」という形で用いられます。「興奮冷めやらぬ」とは、何かに対して興奮(感情が高ぶる状態)が続き、その何かが終わったあとであるのにもかかわらず、まだ興奮状態がおさまらず、平常の感覚に戻っていないことを意味します。
「冷める」にはいくつかの意味がありますが「冷めやらぬ」における「冷める」は、ものごとへの熱く高ぶった感情などが薄らいでゆくことを意味します。
この定義に照らすと、「興奮」以外にも「感動」「怒り」なども「冷めやらぬ」が使えることがわかります。この機会に覚えておきましょう。なお、時に「冷めやまぬ」と時に表現されることがありますが「冷めやむ」という動詞はなく、こちらは誤った用法です。
ピークは過ぎつつある
「冷めやらぬ」を用いるときに注意すべきことのひとつは、対象への興奮や感情が「まだ冷めきっていない」のであり、ピークは過ぎつつあるということです。
たとえば、ある芝居を観に行き、ファンである役者の演技に熱い興奮を覚えたとします。終演となり、ロビーに出てみると、その役者がなんと観客の見送りをしてくれいた!興奮は逆に最高潮です。
こんなケースでは「興奮が冷めやらぬ」どころかヒートアップ。ロビーで役者の姿を見つけた瞬間、「興奮冷めやらぬ思いだった」とは言い難いですね。
「冷めやらぬ」の文例
- 好きなアーティストのライブを堪能し、興奮冷めやらぬまま、真由美は夜の公園を歩きながらアンコールの曲を口ずさんだ。
- 長編小説を読み終えた私は、感動が冷めやらぬうちに著者に手紙を書くことにした。
- デートで喧嘩別れしたのなら、その怒りが冷めやらぬまま会うことは避けたほうが賢明だ。
- 学生運動の余韻冷めやらぬ時代、若者たちは社会人となってどう生きていくかで苦悩した。
「覚(醒)めやらぬ」の意味と使い方
「冷めやらぬ」が興奮や感動などの熱量に関することを対象とする言い回しであるのに対し、「覚めやらぬ」や「醒めやらぬ」は、ともに眠りや夢などを対象として、「まだ覚(醒)めきっていない」ことを意味する言い回しです。
眠りや夢から目覚めるとき、あるいはそのような感覚から覚めるときに、まだはっきりと覚醒する手前の状態に「覚(醒)めやらぬ」の言い回しを用います。そちらの文例も挙げておきましょう。
文例:まだ眠りから覚めやらぬ私の耳に、まるで夢の中から聞こえてくるように、小鳥のさえずりが響いてきた。
「冷めやらぬ」の類語
「余韻に浸る」の意味と使い方
「余韻に浸る」は、「よいんにひたる」と読みます。この言い回しにおける「余韻」とは、事が終わったのちにも残る、そのときに味わった感情や風情、味わいの名残りのことです。「浸る」は、ここでは、ある心境、状態にはいりきるという意味です。
したがって、「余韻に浸る」は、ある物事が終わったあとに残る感情や風情などを味わい感じ続けることを意味します。
文例:鑑賞した映画があまりに素晴らしく、エンドロールが終わっても感動の余韻に浸るうち、観客席にただ一人となってしまった。