「極まれり」とは?
「極まれり」は(きわまれり)と読みます。「り」で終わる言い回しは現代日本語では珍しく、それだけに若い世代はこの言葉に馴染みがない人も多いかもしれません
「極まれり」は、文法的には、動詞「極まる」の未然形「極まれ」に助動詞(完了)の「り」で構成されている言い回しであり、ものごとを突き詰めていった結果のさま、最終的な段階や境地に達したといえる様子を意味します。
「極まれり」の使い方
古めかしく大仰な響きがある「極まれり」。現代日本語では死語かというと、そうでもありません。それどころか、若い世代は別としても、年配層、わけても男性の間では比較的よく使われる傾向があります。
良きにつけ悪しきにつけ、ふっきって行くところまで行ったじゃないか!というようなニュアンスで、あえて大仰に、ユーモラスに使われることが多いのが「極まれり」です。
ほとんどの場合は、引用のように用いて「~極まれり、だ」というかたちで使われます。もし「極まれり」で終わる場合、強調の意図でエクスクラメーションマーク「!」が付加されることもあります。
用いられる場合のほとんどが、「ここに極まれり」という形の言い回しですので、項目を別にして詳述しましょう。
「ここに極まれり」の意味と使い方
「ここに極まれり」とは、これこそ究極の状態、状況、結果である、まさに行き着くところまで行った、突き詰めた結果ついにこのような状態になった、これぞ決定版だ、という意味をもつ言い回しです。
まるで映画の台詞のような大げさな響きですが、ユーモアやからかいを意図して語られるケース、インパクトある表現として用いられるケースが大部分です。
【文例】
- プライベートジェット機を購入するとなれば、セレブ生活もここに極まれり、といえよう。
- モヤシと卵だけで数日食べつないでいるのかい?貧乏生活もここに極まれり、だなあ。
- 最上級のコーヒー豆と、最良の焙煎、優れたバリスタによる至福の一杯、ここに極まれり!
「極まれり」の文例
「ここに」と極まるものを示さずとも、「極まれり」だけでももちろん使用可能です。ただし、「ここに」がない分、インパクトが少なくなることに留意しましょう。
【文例】
- ほぼ毎晩、ミシュランの星がついたレストランで食事をしているなんて、贅沢も極まれり、ですね。
- 憧れのパリに住み、デザイナーとして成功し、自分の幸福な人生も極まれり、と天に感謝です。
「極まれり」の類語
「最たるもの」
「最たるもの」(さいたるもの)とは、様々な事例があるなかで対象とするものの程度が最も顕著だ、という意味の言い回しです。「最」は、最高、最低、などの言葉でもわかるように、程度が行き着くところまで行く状態を表します。
その意味で「極まれり」と「最たるもの」は同義であり、言い回しが古めかしく大げさな点も似通っています。
【文例】
- 贅沢の最たるものは宇宙旅行だ、と考えるセレブたちが多い。
- アスリートたちのほとんどにとって、オリンピックでの金メダルは目指す最たるものである。
「究極だ」
「究極だ」(きゅうきょくだ)は、物事を突き詰めたその極まった状態だ、その最後の到達点だ、という意味の言葉です。
「極まれり」や「最たるもの」に比べると、様々な世代で広く使われている言葉といえます。「究極の~」という表現は、コマーシャルやグルメ番組などでもしきりに用いられています。
【文例】
- 海に面する部屋、プライベートの露天風呂、最上の料理が揃うなら、自分とって宿として究極だ。
- オーロラ現象は、自然界が提供してくれる美の究極だと思う。