「匙を投げる」の意味
「匙を投げる」(さじをなげる)とは、物事の達成や解決ができる見込みがないと考えて途中でやめることを言います。
「匙は投げられた」と勘違いされている方もあるかもしれませんが、これは誤用で、ユリウス・カエサルの「賽(さい)は投げられた」と混同している可能性が高いです。
「賽は投げられた」は、後戻りがきかない状況で一か八か(いちかばちか)の覚悟を決めて行動するしかないという、緊迫している中での決断を表す言い回しです。
「匙を投げる」の由来
「匙」は、調理や食事に使うスプーンのことではありません。漢方薬などの調合(ちょうごう:薬を分量通りに合わせること)のために使う匙のことです。「投げる」という動詞は、途中で放り出すこと、やめることを比喩しています。
「匙を投げる」は、重病人を前にした医者がこれ以上効果の見込める治療方法がないと、薬の投与をやめて患者を救うのを諦める状況から来ています。治療をやめるだけでなく、物事を途中で諦めるという意味にも使われるようになりました。
「誹風柳多留」での例
【現代語訳】
ヤブ医者(この場合の「田舎」は地域を指すのではなく、粗野でガサツなどど蔑(さげす)んでいう)は病人を見捨てては早々と馬で逃げる。
明和2年~天保11年(1765年~1840年)に刊行された川柳の句集「誹風柳多留」(はいふうやなぎだる)所収の句です。発行時期は江戸後期で、すでに「匙を投げる」が、医者が治療をやめるという意味で使われていたことが分かるでしょう。
川柳とは、俳句と同じ5・7・5の音数で、連歌の前句付け(まえくづけ・連歌の5・7・5・7・7音の前の部分の句)が独立したものです。季語などの約束事がなく、口語で風刺の効いた内容が多いです。
「匙を投げる」の使い方
現代でも「匙を投げる」は、医師がこれ以上の手段がないと治療を断念するという、もともとの意味で用いることもあります。
しかし、「匙を投げる」は、ただ単に途中で投げ出すというよりも、問題解決に向けて様々な方法を試したけれども、上手くいかずに仕方なく諦めるというニュアンスを込めて使われることが多いです。
あまり使う機会はないかもしれませんが、「匙を投げる」を「匙を投げることはない」と否定する意味で用いる場合、絶対に物事を投げ出してはなるものかという強い意思が感じられるでしょう。
「匙を投げる」例文
- 病気が悪化したため、これ以上治療しようがないと、医師から匙を投げられた。
- 環境悪化の対策が尽き、断腸(だんちょう)の思いで匙を投げる結果になった。
- あまりにもできが悪く、数学の先生に匙を投げられた。
- 匙を投げるほど、いろいろな手を尽くしているわけではないよね。
- 彼は粘り強く、劣勢(れっせい)に立たされても匙を投げることはなかった。
- 匙を投げることなく必死で解決に取り組んでいたら、周囲の人が援助をしてくれた。
「匙を投げる」の類語
見切りをつける
「見切りをつける」(みきりをつける)は、物事をできる見込みがないと判断する、見限るという意味です。途中でやめるという点では「匙を投げる」と同様ですが、「見切りをつける」は先々の状況を考慮して早めに決定するニュアンスを含みます。
「見切り」は、「見切り品」(売れ残ると判断して割安な価格をつけた品)、「見切り発車」(混み合う時に乗客を残してバスや電車が発車する。結論を出す前に実行する)などのように使われます。十分に手段を講(こう)じる「匙を投げる」とは少し違いがあります。
【例文】
- 自分の音楽の才能に見切りをつけ、他の職業に就くことにした。
- そのまま保有していると損害が大きくなりそうなので、手持ちの株に見切りをつけて売却することにした。
断念する
「断念(だんねん)する」はきっぱりと諦めることです。未練を断ち切って、仕方がないと割り切る様子が見て取れます。「匙を投げる」との違いについて、「断念する」は主に希望や願いなどに使われます。
【例文】
- 大学への進学を希望していたが、家庭の事情により断念した。
- 片思いの相手に他に好きな人がいることを知り、告白を断念した。