「感傷に浸る」とは?
「感傷に浸る」とは、「心が痛むような、切ないような感情を味わう」ことです。淋しい、悲しい、心が痛い…それぞれの言葉でシンプルに言い切れるものでない、少々複雑な心の動きが「感傷」です。
この意味を深く理解するために、「感傷」「浸る」の2つの言葉の意味を解説していきます。
「感傷」の意味
「感傷」には次の2つの意味があります。
- 物事に感応し、心を痛めること。
- 物事に感応しやすい性質により、すぐに悲しみや同情の感情がわく心の傾向やそのさまのこと。
「感傷に浸る」は、自身の心の痛みなどを味わうことであるため、ここでの「感傷」は、1の意味において用いられています。
とはいえ、「感傷に浸る」人の中には、悲しみなどを感じやすい繊細な心の持ち主も多いかもしれませんね。意味2も合わせて知っておくことで、「感傷に浸る」の理解が深まることでしょう。
「浸る」の意味
「浸る」も、2つの意味をもつ言葉です。
- 物が水などの液体の中に入ること、つかること。
- ある心の状態に入りきること。
「感傷に浸る」の浸るは、2の意味によるものです。「ある心の状態」に匹敵する部分が「感傷」ですので、「感傷」と「浸る」の意味を重ねれば、「感傷に浸る」は、なんらかの物事に感応し、心を痛めるような気分、状態を深く味わうこと、だとわかります。
「感傷に浸る」の使い方
「感傷」の意味は心を痛めることであり、「傷」という字も強い痛みを連想させます。ですが、「感傷に浸る」においては、きわめて強く激しい悲しみや痛みではないことに留意しましょう。
「感傷に浸る」は、チクチクとした胸の痛みや、切なさに似た悲しみを味わうこと。基本的には、過去のなにかを思い起こしてのことで、生々しい感情ではありません。
現在の物事によって「感傷に浸る」場合も、過去の出来事と結びついて切なさを感じたり、しみじみとセンチメンタルな感情に浸るような場合に用います。未来のことについては、「感傷に浸る」対象にはなりえないことにも注意しましょう。
「感傷に浸る」の文例
- A子は、3年前に恋人と別れたカフェを訪れ、記憶のひとつひとつを蘇らせては感傷に浸った。
- B氏は、久しぶりに故郷に戻り、かつて実家があった更地に立って感傷に浸った。
- 桜の花びらが舞い落ちるのを見ていたC子は、その光景に人生のはかなさを重ね、感傷に浸るのだった。
「感傷に浸る」に似た表現
「物悲しい」の意味と使い方
「物悲しい」(ものがなしい)とは、さしたる理由もないのに、なんとなく悲しいことを意味する言葉です。
「感傷に浸る」が、なんらかの理由によって引き起こされる感情であることから、全くの同義とはいえませんが、強い悲しみではないという、センチメンタルなニュアンスをもつ点が共通します。
たとえば、日が暮れるのが早くなる季節、沈む夕日を見て感傷に浸るような場合は、「物悲しい」と置き換えることも可能です。
文例:秋になって、落ち葉がしきりと舞い落ちるころは、物悲しい気分になることが多い。
「傷心する」の意味と使い方
「傷心する」は、心になんらかの痛手を受けて、悲しみに浸ること、もしくは、悲しみによって傷つくことを意味する言葉です。泣きわめくような激しく強い悲しみというよりは、「感傷」に近い、切ない感情を指す傾向にあるでしょう。
「感傷に浸る」が、基本的に過去の記憶を思い起こして心を痛めるのに対し、「傷心する」は、今現在、なんらかの出来事で傷つくことですので、この点においては異なるといえます。
「傷心旅行」という言葉がありますが、これは、心に痛手をおった人間が、それを癒すことを目的として旅に出ることです。この場合の「傷心」は、「感傷に浸る」とかなり近いニュアンスをもつといえます。
文例:D子さんは、恋人と別れて傷心する自分を癒すために、長い旅に出た。