「講釈を垂れる」の意味
「講釈を垂れる」は「つまらない話を長々と上から目線で話すさま」を表した慣用句です。「講釈」には「文章や語句の意味を説明すること。また物の道理を説いて聞かせること」という意味があります。しかし、「垂れる」が付くことで意味が変化します。
「垂れる」には複数の意味があり、「目下の者や後世の者に表し示すこと」の他に「良くないことを言う」という意味もあります。使い方の一例として「文句を垂れる」が挙げられるでしょう。
「講釈を垂れる」は、一見「目下の者に物の道理を説くこと」というプラスの意味にもとれますが、「垂れる」をマイナスの意味に解釈し、「良くないこと・つまらないことを話し聞かせる」という意味で使われています。
「講釈」と「講談」
「講釈」は寄席演芸の1つで軍記物を朗読すること、現在で言う「講談」の事を指します。「講談」は、演者が釈台と呼ばれる小さな机の前に座り、扇をそれに打ち付けてリズムをとりながら読み上げる伝統芸能の1つです。
語り口が独特で矢継ぎ早に話したり、勿体ぶって話したりと、そのテンポも魅力のひとつです。「講釈」は「勿体ぶって話す」様子が内包された言葉と言えるかもしれませんね。
「講釈を垂れる」の使い方
「講釈を垂れる」ことは決して印象の良いものではありません。上から目線で話したり、くどくどとつまらない話をしたりすることは、聞き手を嫌な気持ちにしてしまいますね。
「講釈を垂れる」人物を批判したい時や、相手に注意を促す際に「講釈を垂れるな」というように用いられることが多いでしょう。
例文
- 彼は講釈を垂れるばかりで、何ひとつ成果を上げたことがない。
- 私の部署の上司は講釈を垂れることには長けていて、部署のお荷物になっている。
- 彼女はあたかも自分にその経験があるかのように講釈を垂れている。
「能書きを垂れる」との違い
「能書きを垂れる」は、「自分の優れた点を得意げに話して聞かせる」様子を表しています。「能書き」とは「売薬などの効能を書いたもの、転じて自分の得意なことを吹聴することば」という意味です。
「講釈を垂れる」と同様、聞き手にとって不快な話であることに変わりはないのですが、「効能書き」が略されている通り、話の内容そのものが会話に全く関係ないわけではありません。
くどくどと的外れな話をする「講釈を垂れる」と、的を射ていながらも自慢話ばかりをする「能書きを垂れる」。似て非なる2つの言葉の使い分けに注意しましょう。
例文
- 彼はこの研究に対して能書きはよく垂れるが行動に移すことは躊躇しているようだ。
- 能書きばかり垂れていないで与えられた仕事をさっさと終わらせてほしい。
- 彼女は手料理について能書きを垂れていたが、味の方は美味しいと言える程でなかった。
「講釈を垂れる」の類語
「御託を並べる」
「ゴタクを並べる」とカタカナで表記されることも多いですが、漢字では「御託」と表します。「御託宣」の略で「くどくど言うこと・傲慢な言い方」という意味があります。「御託宣」はもともと「神の意思をお告げしらせること」という意味でした。
しかし、神のお告げの話をする人は時に偉そうにも見えてしまい、その様子から「勿体ぶった言い方をする」「偉そうに自分勝手なことを並べる」という意味が付与されました。「講釈を垂れる」と似た意味を持つ慣用句と言えます。
【例文】
- 御託を並べてないで手を動かせと言っているだろう。
- 彼に遅刻の理由を聞いているのだが、御託を並べて話を終わらせようとしている。
- 御託を並べるだけで何もしようとしない彼の態度にはうんざりだ。