「釈然としない」とは?
「釈然(しゃくぜん)としない」は、疑いや迷いの気持ちが晴れることなく、もやもやとしてすっきりしないさまを意味する言葉です。
「釈然としない」は、「釈然」の否定形です。意味を深く理解するために、はじめに「釈然」という言葉について解説します。
「釈然」の意味
「釈然」(しゃくぜん・せきぜん・しゃくねん)とは、疑いや迷い、恨みの思いが消えて、心が晴れ晴れとすっきりするさま、また、心にわだかまりなくうちとけているさまを表しています。
「釈」という漢字にはさまざまな意味がありますが、「釈然」での「釈」は、理解する、という意味です。
「然」は、そのとおりだ、などの肯定を示す意味がありますが、「釈然」においては、ある状況を示す字のあとにそえて、その状況、その様子であることを示しています。「突然」「泰然」などに類する使い方といえるでしょう。
「釈然としない」の使い方
「釈然」には複数の読み方がありますが、「釈然としない」という言い回しにおいては、「しゃくぜん」という読み方のみであることを、まず念頭にいれましょう。
「釈然としない」においては、迷いや疑いが晴れずに「もやもやする、すっきりしない、晴れ晴れしない」という曖昧な心情が特色であり、使い方のポイントともいえます。
「どうも釈然としない」「なんか釈然としない」という表現をしばしば見聞きすることがあるでしょう。まさにこの「どうも」「なんか」という、曰く言い難い、もやもや感がふっきれない感じが、「釈然としない」気分そのものです。
疑問が晴れてもなおすっきりしない場合があるのが「釈然としない」、とも言われるくらいですから、実に込み入った「もやもや感」であるといえましょう。
「釈然としない」の文例
(A男)
あのプロジェクトが立ち上がる発端となる業務提案をしたのは僕なのに、なぜプロジェクトチームに選出されなかったのか、釈然としないよ。
(B子)
母は、幼い私を父の元に残し、別の男性と結婚したの。なぜ私を手放すことができたのか、自分が母親になった今でも釈然としないわ。
(C男)
人間は、なぜ戦争を繰り返すのだろう。殺戮しあってまで得たいものがあるということ自体が、僕には釈然としない。
「腑に落ちない」とは?
ここでは、「釈然としない」に類する言葉「腑に落ちない」について解説します。
「腑に落ちない」の意味と使い方
腑に落ちないとは、対象とする事柄を理解することができず、納得がいかない、合点がいかない、もやもやする、という意味です。
「腑」とははらわたのことを指しています。「はらわたが煮えくり返る」などという言い回しもあるように、古くからはらわたには心が宿るとされていました。
したがって、「腑に落ちない」とは、心にはいってこない、すなわち納得できない、ということを示すのです。反対に、すっきりと理解できたことは「腑に落ちた」と表現されます。
「釈然としない」に比べると、理解できればすっきりと解決するシンプルなニュアンスがあるのが「腑に落ちない」だといえます。
「腑に落ちない」の文例
(D子)
美里さんは、複数の受賞歴ある才能あふれる画家だったのに、なぜなにもかも投げうって平凡な仕事をしているのか、腑に落ちないことばかりよ。
(E男)
中村課長の活躍で、営業一課は素晴らしい販売実績をあげたのに、なぜ中村課長が左遷のような転勤なんだ?実に腑に落ちない人事だよ。
「釈然としない」まとめ
化学や数式のように明確に証明が立つ世界は別として、わけても人間の心がからむ世のことごとには曖昧がつきものです。
たとえ「あれはこうだった」と説明がなされても、その背景にある人の心の奥底は、時にはその本人さえわからないことがあるものです。「釈然としない」という言葉は、そんな曖昧な心と深く関わるものですから、これからも身近なフレーズであり続けることでしょう。