「合いの手」とは
「合いの手」とは、動作や進行の途中に差し挟まれる‘はずみのつく言葉や動作‘のことです。
もともとは邦楽における唄と唄との間の楽器演奏部のことを「合いの手」と言いましたが、近年では音楽分野に限らず、何かの間に差し挟む言葉や動作全般を意味するようになりました。
具体例
- 音楽(民謡)…「チョイナチョイナ」、「ハァ ヤッショーマカショ」
- 音楽(J-POP)…「フゥフゥ」、「ヘイ!」
- 演説…「そうだ、そうだ」
- 会話…「なるほど!」「マジで?」
楽曲であっても会話であっても、「合いの手」により場が盛り上がり一体感が増すということは多々あります。使い方や頻度を誤ると煩がられるデメリットがあることもふまえつつ、是非身につけておきたい手法です。
「合いの手」の用例
- 我が家のペットのチワワは、誰かが鼻歌を歌うと「ワン」と合いの手を入れる。
- カラオケが盛り上がるに越したことはないが、あまりに頻繁な合いの手はちょっと耳障りだ。
- 観衆の「いいぞ!」という合いの手を受けて、選挙演説にもますます力が入る。
- 彼と会話すると合いの手の入れ方が絶妙なので、営業部のエースと呼ばれるのも分かる気がした。
- ライブに参加するなら、事前に合いの手を覚えておいた方がいい。
「合いの手」の語源
「あいのて」は「合いの手」のほか、「間の手」「相の手」とも書きます。もともとは筝曲(そうきょく:琴を主楽器とする楽曲)や三味線音楽において、唄と唄の間に奏される楽器のみの旋律 (手) のことを「あいのて」と呼びました。
これが次第に歌や踊りのリズムに合わせて挟む掛け声や手拍子をも含んで「合いの手」と呼ぶようになり、現在の用法に至ります。
「合いの手」を「打つ」は誤用
「唄と唄の間の旋律(=手)」が語源であることからもわかるように、「合いの手」は「入れる」ものです。ところが実際には、「合いの手を打つ」と誤用している例も見受けられます。
その理由として、意味のよく似た「相槌を打つ」と混同していることが考えられますが、語源を知ればその違いは明確です。そこで今一度、「相槌を打つ」について確認しておきましょう。
「相槌を打つ」とは
相手の話に調子を合わせてうなづいたり受け答えすることを、「相槌を打つ」といいます。「はい、はい」や「わかります」などがその例です。
その語源は、江戸時代の刀鍛冶(かたなかじ)にあります。槌(鎚)とは物をたたく道具、すなわちハンマーのこと。師と弟子が向かい合い、師が槌を打つ合間に弟子が槌を打つ、その槌のことを「相槌」と呼びました。
そこから、相手に合わせて応答することを「相槌を打つ」というようになったのです。「合いの手」と意味はよく似ていても、言葉の成り立ちが異なりますので混同には注意しましょう。
「合いの手」はポジティブなもの
歌唱中に聴き手から「合いの手」が入ると一気に気分が盛り上がり、会話中に相手から「合いの手」が入ると途端に話がしやすくなります。このように、「合いの手」には相手の気持ちを盛り上げたり、前向きに促したりする効果があります。
では、スポーツの負け試合で沸き起こる「下手くそ!」や議会中に飛び交う「辞めちまえ!」などはどうでしょうか。動作や進行の合間に行われるという意味では「合いの手」に近いものがありますよね。
しかし、本来「合いの手」は‘はずみのつく言葉や動作‘でなければならず、これらの用例はその意味から大きくはずれてしまいます。
非難や冷やかしは「合いの手」ではない
上で例に挙げたようなネガティブな発言も、熱狂的なファンや支持者が、対象者を奮起させるために投げかけている「合いの手」、と考えられなくはありません。
しかし、たとえそういう意図があったとしても、内容が非難や冷やかしである以上は「合いの手」とは呼ばず「やじ」と表現します。
J-POPにおける「合いの手」
民謡だけでなく、日本の歌謡曲の中にも「合いの手」の入る曲は数多くあります。中でも、フィンガー5さん(のちに小泉今日子さんがカバー)の『学園天国』、アン・ルイスさんの『あゝ無情』、中森明菜さんの『DESIRE』は有名です。
さらに近年のJ-POPになると、「合いの手」の数は格段に増えます。もはやアイドルのライブでは「合いの手」必須、と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、アイドルライブでの「合いの手」は、通常「コール」や「MIX」と呼ばれています。種類やかけ方にそれぞれルールがあり、統一することでライブを盛り上げる効果を発揮しています。