「良心の呵責」の意味
「良心の呵責」(りょうしんのかしゃく)とは、悪い事をした自分に、自分自身の良心からの責めや咎めを感じ、苦しむことです。
自分の過ちに、自ら心を痛め苦しむこと、と説明される場合もありますが、それでは「良心」の存在が抜けおちています。
しかし、「良心」の意味には、良心と真の自分をほぼ等しいものと扱う見方も含まれます。その見方をすれば、「良心の呵責」は自らの責め、と言うこともできるのです。このように、「良心の呵責」は、なかなか深い意味をもつ言葉と言えましょう。
「良心」とは?
「良心」は、宗教や倫理学などの異なるジャンルで異なる定義がなされる言葉です。また、国や時代によっても、その理解は異なってきます。ここでは、「良心の呵責」に関連する「良心」の定義を紹介します。
道徳哲学上の「良心」は、自己のうちにある、自己の存在や行動における善悪を知覚する意識の働きを意味します。また、倫理学では、心の要素(知性・感情・意志)を合わせて善悪を判断し、自己に善を命じ、悪を退ける働きと定義されています。
「呵責」とは?
「呵」は、叱る、咎める、責める、という意味をもつ字です。「責」も同様です。同じ意味の二字が重なった「呵責」は、厳しく責める、咎め苦しめる、という強い叱責を示す言葉です。
「良心の呵責」の解釈と注意点
上でご説明した「良心」と「呵責」を合わせると「良心の呵責」は、「自己のうちにある、善悪を判断して善を促す意識が、自己が犯した悪を厳しく責め咎める働きのこと」と言えます。
よって、「良心の呵責」を、悪を自覚することによる「良心の痛み」「良心の疼き(うずき)」と解釈するのは誤りです。「良心」は苦しむ存在ではありません。
「良心の呵責」の使い方
(A課長)
自分が部下に指令を出した結果、赤字となったんだ。そのプロセスを部長に問われて、思わず、部下が勝手に進めた話だと言ってしまった。以来、良心の呵責に耐えかねてね。評価が下がる覚悟で、部長に正直に事情を話したよ。
(B子)
小学生の時、仲良しの女の子がいじめにあってたんだけど、自分もいじめられるのが怖くて、私もその子へのいじめに加わったの。でも、苦しくて悲しくて影で泣いて、その子の顔も見れなかった。今思えば、あの辛さが「良心の呵責」だったのね。
「良心の呵責」の類語
「良心の呵責」の類語には、自責の念、悔恨の情、罪悪感、罪の意識、などが挙げられます。ただし、どれにも「良心」の存在はないため、厳密には同じ意味ではありません。
【自責の念】【悔恨の情】
自身による意識的な自己非難ですが、苦しみの感情を強く持つ点では「良心の呵責」と共通します。
【罪悪感】【罪の意識】
悪いことをした、いけなかった、という自覚はある状態です。しかし、それによって心が責め苛まれる苦しさを痛切には感じていない点が、「良心の呵責」とは異なっていることに注意しましょう。
「良心の呵責」の英語
そもそも、英語には「良心」にあたる一語での言葉がありません。意識を表すconscienceに、goodをつけた、good conscienceが日本語の「良心」の類語です。
「良心の呵責」に相当する英語表現では、good conscienceを使わない意訳表現が用いられます。例を挙げてみましょう。
- My conscience twinged me hard when I betraied my honey.(訳:恋人を裏切ってしまった時、強い良心の呵責を感じた。)
- I had a pang of conscience to study in USA leaving my sick parents in Japan.(訳:病気の両親を日本に残してアメリカで勉強することに、私は良心の呵責を感じていた。)
例文では、「良心の呵責」を表すために、conscienceと疼きや痛みを表す言葉と組み合わせています。twingeは、ずきずきする、疼くという意味。pangは苦痛や心痛を表す言葉です。