「濡れ手で粟」とは?意味や使い方をご紹介

「粟(あわ)」とは五穀の一つで、古くから貴重な食糧でした。しかし現在では食卓にのぼることも少なくなってしまったため、「濡れ手で粟」と聞いてもピンとこない方が多いかもしれませんね。ここでは「濡れ手で粟」の意味や使い方をご紹介します。

目次

  1. 「濡れ手で粟」の意味
  2. 「濡れ手で粟」の使い方
  3. 「濡れ手で粟」の用例
  4. 「濡れ手で粟」の類語
  5. 「濡れ手で粟」タイ編

「濡れ手で粟」の意味

濡れた手で粟をつかむと、簡単に粟粒が手にくっついて、たくさん手に入れることができることから、「濡れ手で粟」は苦労せずに多くの利益を得ることの例えとして使われます。

粟とは五穀(米、麦、豆、粟、黍または稗)の一つです。貴重な食糧として昔は非常に大切に扱われていたものでした。黄色いその実は米より小粒で軽く、濡れた手でつかむと、手のひらだけでなく、手の甲にも指の間にもびっしりとくっついてくることから、簡単にたくさん手に入るという例えとして用いられました。

また「濡れ手に粟」という事もできます。

「濡れ手で粟」の使い方

  • 新規事業に手をひろげたが、悪戦苦闘している。濡れ手で粟をつかむようなうまい話なんてないのだと痛感した。
  • この辺りには競合する店舗がないから、濡れ手に粟状態で笑いが止まらない。
  • 昔の知り合いにちょっと口を利いて就職させただけで、そんなにたくさん謝礼をもらったなんて、濡れ手で粟だね。

どれも労せずして大きな利益を得る例えとして使われていますね。「濡れ手に粟」も全く同じ使い方です。また「濡れ手で粟をつかむ」と動詞と共に使われることもあります。

「濡れ手で粟」の用例

「濡れ手で粟」には、似た表現がいくつかありますので、用例をご紹介します。
 

濡れ手で粟をつかむやう

『やぶにまぐわ』(1718年)
 
成仏はねがはず、濡れ手で小米掴む様な未来出世の元手を心掛かるは聞へず

『教訓乗合船』(1771年)
 
濡れ手で粟の摑み取り、ぺてんに掛けた二百両を取り返さうと出て来たのだ

歌舞伎『天衣粉上の初花』(1881年)

この他にも「濡れ手で粟のぶったくり」、「濡れ尻で粟に座る」などという表現もあります。また、以下の表現には注意が必要です。
 
月も朧に白魚の篝も霞む春の空、つめたい風もほろ酔いに心持ち好く浮か浮かと、浮かれ烏の唯一羽、塒へ帰る川端で、棹の雫か濡れ手で泡、思ひがけなく手に入る百両

歌舞伎狂言『三人吉三廓初買』(1860年初演)

『三人吉三廓初買』では「粟」ではなく「泡」と書かれていますが、このセリフにおける「泡」は「雫」の縁語(意味や音の上で関係のある語を用いて表現に面白みをつけるもの)であり、「粟」と掛詞(同じ音に二つ以上の意味を持たせる表現法)になっている特別なケースです。慣用表現として「濡れ手に泡」という漢字を用いるのは誤りですので注意してくださいね。

さらに、「濡れ手で泡」と書いて、「いくら努力しても実りがないこと」という意味でとらえることも誤りです。こちらも併せてご注意ください。

「濡れ手で粟」の類語

「濡れ手で粟」と似た意味の言葉をご紹介します。
 

  • 一攫千金(いっかくせんきん):一攫(ひとつかみ)でたやすく大金をもうけること。たいした苦労をせずに大きな利益を得ること。

以下の表現も類語としてあげられています。
 
  • 漁夫の利(ぎょふのり):当事者同士で争っているすきに、第三者が苦労もしないで利益を手にしてしまう事。

これは「漁父の利」という漢字も使われます。苦労もしないで利益を手にしてしまうという点では「濡れ手で粟」と同じですが、第三者が得をするという点が「濡れ手で粟」とは異なりますね

「濡れ手で粟」タイ編

「濡れ手で粟」という慣用句は、他の国ではあまり使われていないようです。唯一タイでは以下のような表現が用いられていました。
 

  • 素手で虎を捕まえる

資本を投じることなく、巨額の利益を手にした時などに使われる表現です。大掛かりな罠を用意したり、銃を調達したりという苦労もなく、簡単に素手で虎という大物を手に入れる、というところでしょうか。政界や経済界などでさほど難しい仕事をしたわけではなくても、世話料やら口利き料として多額の資金が動くことはときにあることでしょう。特にそうした金が動いた汚職などを非難する場合に用いられるようです。

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