「愛別離苦」の意味
愛別離苦(あいべつりく)とは、家族や恋人などの愛する者との生き別れ、または死別の時の苦しみを意味します。長い人生の中で誰もが遭遇する苦難で、仏教用語の一つです。
「愛別離苦」の由来
先ほど書いたように愛別離苦は仏教用語です。仏教自体は難しいですが、この言葉はそれほど難しくありません。まず、簡単に仏教の概要を説明します。
仏教について
紀元前500年頃(諸説あり)にインドで釈迦が開いた宗教で、人生の苦しみを克服する為に修行をすることを説きました。この苦しみを「四苦」または「八苦」として定型化しています。
「四苦」とは生老病死です。
- 「生」とは生まれること。誰しもがどこにどう生まれるかは選べません。
- 「老」とは老いること。誰しもが歳をとることは避けられません。
- 「病」とは病気になること。誰しもが人生で一度は病気になります。
- 「死」とは死ぬこと。生まれたからには必ず死ぬものです。
この「四苦」にこれから挙げる四つを加えて「八苦」と呼びます。(ちなみに四字熟語の四苦八苦はここから来ています。)
- 「怨憎会苦」とは憎んでる人に会わなければいけいない苦しみです。
- 「求不得苦」とは求めるものが得られない苦しみです。
- 「五蘊盛苦」とは少々難しいですが、簡単に言えば心と肉体から生まれる苦しみです。
これらの言葉と「愛別離苦」はセットになています。つまり、単に愛してる人と別れて苦しい、という意味だけでなく仏教的な苦しみの一つを意味します。
仏教においてこの「八苦」は乗り越えるべき障害です。そのための実践方法が「四諦・八正道」と呼ばれるものですが、具体的な内容はこの記事の趣旨から外れるので割愛します。
仏教における「愛別離苦」の説話
ここで愛別離苦の意味を端的に表現した話を紹介します。「テーリーガーター」という経典に書かれているものです。
それを見て哀れに思った釈迦が一計を案じました。「今まで死人を出しことのない家から芥子の粒を貰いなさい。それが薬だ。」
ゴータミーは家々を回りましたが、そんな家はどこにもありませんでした。
その結果、ようやく彼女は死なない人はいないことを悟り、後に出家します。
現代の感覚からすると、いかにもお説教といったエピソードですね。それに加えて釈迦の対応もちょっと冷たいように思われるかもしれません。しかし、そこがまさに仏教的なお話なのです。
人間生きていればいつか必ず愛する人と死別しなければなりません。泣いても嘆いてもこればっかりは一切覆らない。下手な慰めの言葉よりも、事実を事実として受け入れさせる。そうしなければ、いつまで経っても苦しむばかりですから。
「愛別離苦」とは、つまり人生において引き受けざるをえない多くの苦しみのうちの一つなのです。
「愛別離苦」の使い方
厳密には仏教用語ですが、日常ではそこまで意識して使う必要はないです。そもそも仏教用語として使われているケースは稀だと思います。単に別れただけを意味することの方が多いでしょう。
「愛別離苦」の例文
- この間親しかった祖父が亡くなってしまい、今はまさに愛別離苦の心境だ。
- 彼女は恋人と別れて愛別離苦の涙を流したが、いつかは必ず立ち直るだろう。
- ただの別れではなく、今にも胸が張り裂けそうで愛別離苦と呼べるくらいだ。
- 何の変哲もない様子だが、きっと彼は愛別離苦に苛まれているはずだ。
「愛別離苦」のまとめ
ただ親しい人と別れて悲しい、というニュアンスだけでなく、愛別離苦は他の八苦である怨憎会苦などと同じように仏教的に人生における必定の苦しみを意味すること理解できれば、より深く愛別離苦という言葉を正しく使いこなせるようになります。