「まかり通る」とは
「まかり通る」とは、堂々と通ること、または堂々と通用することを意味する言葉です。主に自分勝手な言動など、良くないことや物が世間に通用してしまう時に使われる言いまわしです。
なお、「まかり通る」は、目的語(「~を」で表される部分)を必要としません。主語自身の動作を示す‘自動詞‘です。
また、「まかり通す」「まかり通させる」と表現しているケースも稀にありますが、一般的な表現としてはなじみません。もし、目的語を伴い、「まかり通る」と似た意味を持たせる場合には、「貫く」や「押し通す」などの表現を使います。
「まかり通る」の用例
- そんな言い訳がまかり通るなら警察はいらないよ。
- あの交差点で事故が絶えないのは、ドライバーの都合による自分勝手なルールがまかり通っているからだ。
- 入場券を持たずにゲートを潜り抜けようとする不正がまかり通ってはいけないので、当日は警備を強化しよう。
- 「言ったもの勝ち」がまかり通ってしまうと、クレーマーの意識を増長させることにはならないか。
「まかり通る」の成り立ち
「まかり通る」という言いまわしは、「まかる(罷る)」と「通る」という言葉で成り立っています。この言葉の不思議なところは、「通る」だけでも十分に意味としては通じるのに、「まかる」が付くことで強引な印象に変わるという点です。
例えば、「言い分が通る」と「言い分がまかり通る」では、後者にかなり強い印象を受けるのではないでしょうか。
さて、この「まかる(罷る)」とは、具体的にはどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。以下で詳しくみていきます。
「罷」の字義
「罷」という字は「ヒ」と読み、「やめる」や「休止する」などの意味を持ちます。「罷免(ひめん)」と言えば、「職をやめさせること」、「罷業(ひぎょう)」と言えば、「仕事をしないこと=ストライキ」を指します。
一方、「まか-る」というのは国語特有の読み方です。「退出する」や「行く・来る」という意味のほか、動作を強調する役割としても「罷る」が用いられます。
「まかる(罷る)」の付く言葉
「まかり通る」のほかにも、「まかり~」が付く言葉はありますが、言葉によってへりくだった表現(謙譲)と、語気を強めた表現(強調)とに用法が分かれます。
【謙譲】
- まかりいる…「いる」の謙譲語
- まかりでる…「退出する」や「行く」の謙譲語、または「厚かましく人前に出る」の意(強調)
- まかりなる…「成る」の謙譲語
- まかりよる…「寄る」の謙譲語
【強調】
- まかりならぬ…「成らぬ」を強めていう語
- まかりまちがう…「まちがう」を強めていう語
このように、現代ではあまり使われなくなった表現では「謙譲」の意味のまま、現代でも使われ続けている表現においては「強調」の意味に変化していることがみてとれます。
「まかり通る」の「まかる」も「強調」の意味ですが、かつては「通る」の謙譲語としての用法も存在していたことが分かっています(後述、浄瑠璃の描写参照)。
「まかる」の意味の変化
古語における「まかる(罷る)」は、「まく(任く・罷く)」の対義語でした。「まく」には「任命」という意味があり、支配者が下の者に命じて行動させることを指します。
対して、「まかる(罷る)」は支配者の許しを得て行動するというのが本来の意味でした。現代の国語的用法と同様に、「行く」や「来る」という意味で用いられていましたが、謙譲語あるいは丁寧語として使われていた歴史があることがわかっています。
浄瑠璃『女殺油地獄』における「まかり通る」
浄瑠璃『女殺油地獄』には、「二かいにいるか下座敷か罷通るとつゝと入」という描写部分があり、ここでは「はいらせてもらう」という意味で、「まかり通る」という謙譲語としての表現が使われています。
これがいつ頃から「堂々と」という意味に変化したのかは未だに分かっていませんが、今日の「まかり通る」の用法は、「他人の大きな支配や許しのもとで(堂々と)出入りする」意から来たと考えることができそうです。