「冥利に尽きる」とは?意味や使い方をご紹介

スピーチや挨拶などで「冥利に尽きる」という言葉を聞いたことはありませんか?「冥利」とは神仏からのご利益のことで、「冥利に尽きる」はその立場として最高の幸福を表します。ここでは「冥利に尽きる」の意味や使い方、類語などを紹介します。

目次

  1. 「冥利に尽きる」とは
  2. 「冥利」とは
  3. 「冥利に尽きる」の使い方
  4. 「冥利に尽きる」の類義語

「冥利に尽きる」とは

「冥利(みょうり)に尽きる」とはその立場にいるものとしてはこれ以上の幸福はないという意味です。これ以上ない幸福感、この上ない幸せ、もったいないほどの幸福など幸せを表す最上級の表現です。

「冥利に尽きる」は幸せや喜び、満足感を表す言葉です。また、幸せを与えてくれた誰かへの感謝を示す言葉でもあります。

お仕事やお役目に使われることが多い言葉です。その仕事や役目で味わう一番の幸せとは、言い換えれば「やりがい」や「生きがい」のことですね。

「冥利」とは

冥利の意味

「冥利」は元々仏教用語で、神仏から知らず知らずのうちに授けられる利益や恩恵のことです。仏教には、「業(ごう)」という考えがあります。良い行いには良い報いがあり、悪いことには悪い報いがあるという教えです。「因果応報」が善悪どちらにもある、ということですね。

そのため、善い行いを積み重ねた人には幸運が舞い込むそうです。その幸運は神仏から善行に対するご褒美として与えられたものとのことです。

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』をご存じでしょうか。作中では、お釈迦様が蜘蛛を救った男に対して報いを与えています。神仏から与えられる幸運ですので冥利と呼べますね。

つまり、「冥利が尽きる」とは神仏から与えられる幸福が最大にまで達している、これまでの善行すべてに匹敵するほど幸福であるという意味ですね。ここでの「尽きる」は言い尽くす、極限に達するという意味です。

「冥利に尽きる」の使い方

「~冥利に尽きる」

「冥利に尽きる」は「役者冥利に尽きる」や「男冥利に尽きる」など「~冥利に尽きる」という形で使います。それぞれ、役者としての幸福や男としての幸せを表します。

どの立場としての幸せなのかが言うまでもなく明らかな場合には省略して、単に「冥利に尽きる」とすることもあります。

使用場面

「冥利に尽きる」はお仕事やお役目に関してよく使われます。

まず、喜びや感動を表す場合です。例えば、表彰された時や受賞した時などです。ノーベル賞やオリンピックでの授賞スピーチなど、喜びを表す言葉として優れています。

また、感謝の気持ちを伝える言葉でもあります。仕事の打ち上げで、メンバー全員の協力のおかげで成果を出せたと感謝を表すこともできます。恋人や配偶者に気持ちを伝えることもできます。

例文

  • このような栄誉ある賞をいただくことができ、冥利に尽きる思いです。
  • 奥さんにここまで言われるとは男冥利に尽きるね。
  • 喜んでもらえてうれしい。作家冥利に尽きるというもんだ。

「冥利に尽きる」の類義語

本望

「本望」には次の2つの意味があります。

  1. 元々抱いていた望み。
  2. 望みを達成して満足なこと。

「本望」は長年にわたって抱いてきた願望や心からの願いです。なによりも叶えたい一番の願いごとです。客観的に見ればよいことばかりではないけれど、当人にとっては満足のいく内容であることを表します。

例えば、「会社を追われることになっても、不正を告発できるなら本望だ」を考えてみましょう。不正の告発は正義にかなうものですが、退職は悪いものです。両者が同時に起こるなら必ずしも良いとは言えません。しかし、この人にとって不正告発は退職を受け入れてでも叶えたい望みであるということです。

醍醐味

「醍醐味(だいごみ)」とは物事の本質的な面白さや味わいです。仏教では最高の教えを指します。

「醍醐」とは牛乳を精製して作る液体です。精製が進むごとに「乳」や「酪」など呼び名が変わっていき、最後には醍醐と呼ばれます。

精製の最終段階であることや非常に美味であることから、醍醐は最上のもののたとえとして仏教で使われます。醍醐のような味わいという意味で、物事の神髄を醍醐味と呼んでいます。

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