「蒔かぬ種は生えぬ」の意味
「蒔かぬ種は生えぬ」(まかぬたねははえぬ)は、種を蒔く(地面に植える)ことをしなければ、芽が生えてこないという場面を例に使ったことわざです。
物事の原因(種を蒔くこと)がないならば、結果(芽が出る)は生じないということです。そこから転じて、何もしなければ思うような結果は出せない、何も得る物はないことを表すようになりました。
「蒔かぬ種は生えぬ」の使い方
「蒔かぬ種は生えぬ」は、何も努力していないのに周囲のせいにしたり、文句ばかりで何もしなかったりする人に対して、忠告や叱咤激励(しったげきれい)の意味を込めて使う場合があります。普段から自分を律するために、心に深く留め置くこともあるでしょう。
また、就職や転職の面接で「座右の銘」を聞かれた時に、「蒔かぬ種は生えぬ」で面接官にアピールできます。結果を残すために懸命(けんめい)に努力する人物であると、強く印象付けられるかもしれません。
「蒔かぬ種は生えぬ」の例文
- 「蒔かぬ種は生えぬ」を肝に銘じ、難しそうでもできるところから取り組んだら、良い評価につながった。
- 私のモットーは「蒔かぬ種は生えぬ」です。常に努力をして物事を成し遂げられる人間でいたいと考えています。
- 「蒔かぬ種は生えぬ」と言うじゃないか。人のせいにする前に精一杯やってみようよ!
「蒔かぬ種は生えぬ」似た意味のことわざ
打たねば鳴らぬ・打たぬ鐘は鳴らぬ
「打たねば鳴らぬ」(うたねばならぬ)・「打たぬ鐘は鳴らぬ」(うたぬかねはならぬ)とは、どのようなことでも自らが動かない限り何も得られないことをいうことわざです。
鐘を打たないと何の音も鳴らないところからたとえられ、「蒔かぬ種は生えぬ」と同じような意味で使えます。
【例文】
- 打たねば鳴らぬので、自分から苦手な相手のところに出向いて様子を見ようと思う。
- 打たぬ鐘は鳴らぬから、手をこまねいて見ているだけでは事態は動かない。
物が無ければ影ささず
「物が無ければ影ささず」(ものがなければかげささず)とは、もともとの原因がなければ結果は生じないことを言います。「蒔かぬ種は生えぬ」と同じような意味のことわざです。そもそも物が無ければその影ができないところから来ています。
【例文】
- 物が無ければ影ささずの通り、余計なことを言ったから相手が気分を害したのだろう。
- 何もしないのに痩せないというのはおかしいよ。物が無ければ影ささず、ご飯は控えめにしてもお菓子をやめないからダイエットが上手くいかないのでは?
「蒔かぬ種は生えぬ」反対の意味のことわざ
棚からぼたもち(棚から牡丹餅)
「棚からぼたもち(牡丹餅)」は、略して「棚ぼた」とも呼ばれることわざです。苦労せずに思いがけない幸運に見舞われることを言います。棚の下で口を大きく開けて寝ていたら、ぼたもちが落ちてきて口に入ったところから来ています。
【例文】
- 偶然会った友人からアイスの無料券をもらった。限定のメニューをただで食べられて棚からぼたもちだ。
- キャンセルが出たらしく、たなぼたで野球観戦のチケットをゲットできた。
「棚からぼたもち」は「Kis-My-Ft2」(キスマイフットツー)内のユニット、舞祭組(ぶさいく)の曲のタイトルにも使われます。目立つ3人のメンバーのおかげで労せずしてアイドル活動できるという内容ですが、舞祭組4人の涙ぐましい努力やひたむきさを感じます。
「牡丹餅(ぼたもち)」は、小豆のあんでもち米を包んだ和菓子です。同じお菓子に「おはぎ」があります。牡丹は春の花、萩(はぎ)は秋の花で、春のお彼岸の頃に食べるものを「牡丹餅」、秋の彼岸頃の場合は「おはぎ」となり、食べる時期によって呼び名が変わります。
果報は寝て待て・運は寝て待て・福は寝て待て
「果報は寝て待て」(かほうはねてまて)とは、幸運は自分でつかもうとして焦っても得られるものではないので、寝ながら待つくらいゆったりと構えていた方が良いという意味です。「果報」は、仏教用語で「前世の行為によって、現世に報いとして受ける結果」のことです。
類語に「運は寝て待て」「福は寝て待て」があります。いずれも「蒔かぬ種は生えぬ」とは真逆の意味合いのことわざです。
【例文】
- 果報は寝て待てと言うじゃないか。あくせくしても疲れるだけ、気長に運が向くのを待とうよ。
- 運は寝て待てというので転職活動を休んでいたら、前職の取引先から声をかけられて良い職場を紹介してもらった。
- 福は寝て待てというとおり、焦らずに行動しないでよかった。