「三つ子の魂百まで」とは?
読み方は、「みつごのたましいひゃくまで」です。
意味は「子どもの頃の性格や性質は年をとっても変わらない」ということです。「三つ子」とは、三歳の子どものことを言い、転じて幼い子ども全般を意味します。同じ母親から一緒に生まれた三人の子を表す三つ子ではありません。「魂」は、生まれながらに持っている性格や精神のことを指します。「百」は、100歳のことです。
「魂」が「知恵」「根性」「心」になっていたり、「百」が「八十」「七十」「六十」になっていたりすることもありますが、同じ意味です。
例:三つ子の魂八十まで・三つ子の知恵百まで
「三つ子の魂百まで」例文
- 彼女は小さいときから優しかったけれど、今も優しいね。「三つ子の魂百まで」だね。
- 陸上選手になった彼は、子どもの時から走ることが大好きだったよね。さすが、「三つ子の魂百まで」だ。
- あの子は、小さいときと変わらずそそっかしいね。「三つ子の魂百まで」だね。
「三つ子の魂百まで」誤った使い方
「三つ子の魂百まで」は、「持って生まれた性格が変わらない」という意味には使いますが、「子どものころに習い覚えたことを忘れない」という意味では用いません。したがって、次のような用法は誤りです。
- 彼女の音感がいいのは、小さいころにピアノを習っていたからだね。やっぱり、「三つ子の魂百まで」だね。
また、三歳までの教育の重要性を説くためにこのことわざが使われることがあります。確かに三歳までの年齢は、人生の中でも目覚ましい急成長をする時期ですが、そういった意味でこのことわざを使うのは正しくありません。したがって、次の使い方も誤りです。
- 「三つ子の魂百まで」だから、赤ちゃんのうちから英語教室に入れて英語が話せるようにしよう。
「三つ子の魂百まで」類語
「三つ子の魂百まで」と同様の意味を持つことわざには、次のようなものがあります。
- 「雀百まで踊り忘れず」(すずめひゃくまでおどりわすれず)
- 「頭禿げても浮気はやまぬ」(あたまはげてもうわきはやまぬ)
- 「産屋の風邪は一生つく」(うぶやのかぜはいっしょうつく)
- 「産屋の癖は八十まで治らぬ」(うぶやのくせははちじゅうまでなおらぬ)
- 「漆剥げても生地は剥げぬ」(うるしはげてもきじははげぬ)
- 「噛む馬はしまいまで噛む」(かむうまはしまいまでかむ)
- 「痩せは治るが人癖は治らぬ」(やせはなおるがひとくせ/ひとぐせはなおらぬ)
- 「病は治るが癖は治らぬ」(やまいはなおるがくせはなおらぬ)
- 「子どもは大人の父親」(こどもはおとなのちちおや)
どの言葉も、子どもの頃の性格や癖、習慣が大人になっても変わらないことを表現しています。
なお、上記のことわざの多くは、巷のことわざ辞典などにも掲載されているかと思いますが、最後の「子どもは大人の父親」については、英国のロマン派詩人ワーズワースの作品「幼年時代を追想して不死を切る頌」からの一節で、いわゆる「名言」として知られているものです。
「三つ子の魂百まで」英語
「三つ子の魂百まで」に似た意味を持つ英語表現には、次のようなものがあります。
- The child is father of the man.(子どもは大人の父)
- The leopard cannot change his spots.(ヒョウは斑点を変えることはできない)
- Best to bend while it is a twig.(小枝のうちに曲げるのがいちばん良い)
「三つ子の魂百まで」と三歳児神話
「三つ子の魂百まで」は、いわゆる三歳児神話と混同されて使われることがあります。三歳児神話とは、子どもが三歳になるまでは生みの母親が子育てに専念するべきで、そうしないと子どもの成長に悪い影響がある、という考え方です。
20年ほど前までは子育ての常識とされていましたが、1998年度の厚生白書で合理的な根拠はないとされてからは、反対する意見が強くなっています。この三歳児神話とことわざの「三つ子の魂百まで」は関係はありません。したがって、次の使い方も誤りです。
- 三歳までは、お母さんがちゃんと子どもを見ていないとだめだよ。「三つ子の魂百まで」なんだからね。
「三つ子の魂百まで」まとめ
間違った使い方をされることも多い「三つ子の魂百まで」ですが、それぞれの言葉の指す意味がわかれば、正しく使うのは難しいことではないでしょう。良い意味でも悪い意味でも使えることわざなので、使い方は間違えないようにしたいものですね。