「逃がした魚」とは?意味や使い方をご紹介

「逃がした魚」とは釣り損なった魚のことです。釣り人にとって、釣り逃がした魚は大きかったように見えることと実社会での手にいれ損なった苦い経験とが重なり“「逃がした魚」は大きい”という言葉が生まれました。「逃がした魚」やその使い方などを説明します。

目次

  1. 逃がした魚」の意味
  2. 「逃がした魚」は大勢の釣り人の体験から生まれた言葉
  3. 「逃がした魚」と「逃げた魚」
  4. 「逃がした魚」の使用例
  5. 世界の各国に「逃がした魚」に似た言葉

逃がした魚」の意味

「逃した魚」 という意味は、“ほとんど釣り上げていて手に取る寸前まできていたのに逃がしてしまった魚”のことを言います。“釣り逃がしてしまった魚は大きかった”と感じることが多いことから、同じように日常生活でもほとんど手に入りそうになっていたものを手に入れ損なった時、口惜しさも手伝って「『逃がした魚』は大きい」と言うことがあります。

「逃がした魚」は大勢の釣り人の体験から生まれた言葉

釣り針にかかった魚をうまく泳がしながら水際まで釣り上げてきて、もう一息というところで針がはずれたのかテグスが切れたのか、“ザマァ見ろ”と言わんばかりに銀鱗を翻してポチャンと水中に逃げていった魚のキラキラ姿は口惜しさもありますが確かに大きく見えるものです。釣り人達のそんな経験から「逃がした魚は大きい」という言葉が生まれました。

「逃がした魚」と「逃げた魚」

「逃がした魚は大きい」とよく似た「逃げた魚は大きい」という言葉があり、しばしば混同されることがありますが、その意味は大きく異なります。

「逃がした魚」には、“それなりに大変な努力をした結果、ほとんど手に入りかけていたのに、自分のミスなどから逃がしてしまった”という悔しさや、“あの時、もっとうまくやれていれば”とか“あんなことが無かったら”などの後悔の気持ちが『逃がしてしまった』つまり『逃がした』と言わせることになる訳です。

「逃げた魚」には“何年か前、たまたま知りあったり、付き合いもあった人が一段と美人になっていたり、有名になったりしているとと、惜しいような、残念なような気がする時があります。といっても、“特に意識していた訳でもなし”とか“アクションしたことも無かったたし”などと思うと、もともと、縁が無かったことだでもあり、“逃げた魚は大きかった。ちょっと残念ね”でお仕舞いにできる訳です。

「逃がした魚」の使用例

実社会でも長い人生の中で、“狙った魚を逃がしてしまう”経験はいやというほど実感するものです。

事例1

元カノと銀座でバッタリ出会った。久しぶりに会った彼女だったが一段と魅力的な女になっている。すれ違った後「あの時、あんな事がなければ…」と悔やむことしきり。思わず「逃がした魚は大きい」とつぶやいていた。

事例2

A社との商談で担当者ともうまくコンタクトがとれ、上司がご挨拶に伺うとの段取りまではうまく話が進んでいた。そのアポの日、余裕を持って会社を出たのは良かったが、思わぬ大渋滞。予定の時間に大きく遅れてしまった。先方は担当者の上司も待機されており、大変失礼なことになりご迷惑をお掛けすることになった。

当然ながら、その案件は潰れてしまった。「大きな仕事だったのに残念だったね。『逃がした魚は大きい』と言うけど、まぁ次がある。気を落とさずに頑張ってくれよ…」と先輩に慰められても、そう簡単に諦めきれない「逃がした魚」だった。

世界の各国に「逃がした魚」に似た言葉

「死ぬる子は眉目麗し」という言葉があります。“幼くしてなくなった子供は顔立ちも綺麗だった。成人していればさぞかし美人になっていただろうに」という親の嘆きの気持ちを言ったものです。

外国でも「It is too late to griev  when chance is past=好機が過ぎてから嘆いても遅すぎる(イギリス=他諺の空似・米原万里)」、「人は遅すぎる頃になって、ようやく事が判る(ブラジル=同)」と。また、「後悔は孫である(アフリカ)」などとも。

各国それぞれに失ったものの大きさに後で気がつくことについての言葉があります。また「荷車から落ちたものは失せたもの(ロシア)」などと世界の国々に「失ったものは二度と手に入らない」という言葉があります。

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