「仏の顔も三度まで」とは?意味や使い方をご紹介

「仏の顔も三度まで」ということわざがあります。普段仏のように穏やかな人ほど、いざ怒りに火がつくととんでもなく恐ろしい、といったことがあるかもしれません。今回は「仏の顔も三度まで」ということわざの意味や使い方、その由来などについてご紹介します。

目次

  1. 「仏の顔も三度まで」の意味
  2. 「仏の顔も三度まで」の由来
  3. 「仏の顔も三度まで」の例文
  4. 「仏の顔も三度まで」の類似表現
  5. 「仏の顔も三度まで」のまとめ

「仏の顔も三度まで」の意味

「仏の顔も三度まで」ということわざは、「いくら温厚で慈悲深い仏様のような人でも、何度も無礼なことをされれば、ついには怒り出すものだ」という意味です。「他人の善意に何度も甘んじたり、許されるからとたびたび失礼な行為を繰り返したりするのはやめるべきだ」と戒める言葉です。

「仏の顔も三度」と省略したり、逆に「仏の顔も三度撫(な)づれば腹立つる」と長く表記されることもありますが、いずれも同じ意味です。「仏様の顔を三回までは撫でるのを許されても、四回目にはさすがに怒り出す」といった比喩の表現です。しかし実際には「三回までは無礼をしてもよい」という意味ではなく、仮に相手が寛容であっても、失礼なふるまいは本来行ってはならない、と他者へ向き合う姿勢を諭すことわざだといえます。

「仏の顔も三度まで」の由来

いろはかるたの一つ

「仏の顔も三度まで」ということわざは、そもそもは「上方(京都)いろはかるた」の中に見える言葉です。その「ほ」で始まる札にこのことわざが採用されており、ここから一般的な日本語表現として広まったようです。いろはかるたは子ども向けの言葉遊び用の玩具として、江戸時代に成立したとされます。

いろはかるたは江戸、上方、東海地方など各地域によって採用することわざも異なっていますが、いずれも子どもたちが世の中のしきたりや人生訓などを面白おかしく学ぶことができるよう、さまざまなことわざとそれを表す絵柄でつくられています。

「三度」には深いわけも

さらに「仏の顔も三度まで」の由来をさかのぼると、古代インドの仏教経典にまで至ります。このことわざのエピソードは、そもそもは仏陀(ブッダ)、つまりお釈迦様をめぐる古代インドの出来事に源があるとされるのです。

仏教の開祖であるお釈迦様の生い立ちなどの中で、次のような物語が伝わっています。ブッダは古代インドの釈迦族という高貴な一族の王子として産まれました。当時のインドではマガタ国、コーサラ国という二つの大国があり、小さな釈迦族はコーサラ国にほぼ従属していました。

あるときコーサラ国王が自分の王妃を差し出すよう釈迦族に求めます。自尊心が強い釈迦族は難色を示し、一計を案じて身分の低い女性を王族と偽って嫁がせます。国王はその女との間に王子を生みます。その後王子が釈迦族を訪れた際、釈迦族は「お前は卑しい母から生まれた」と蔑み、事実を知った王子は怒りに震えます。

成長した王子は国王となり、恨みから釈迦族を滅ぼそうと出兵します。すでに仏だったブッダは、親族である釈迦族を守ろうと、説得のため枯れ木の下で軍を待ち受けます。ブッダを見た王は「なぜ座っているのか」と尋ね、ブッダは「親族の木陰は涼しいものだ」と自分が釈迦族出身であることを明かします。「遠征の際僧に出会ったら兵を引け」という古くからの言い伝えや、高僧であるブッダの思いも鑑み、王は攻撃をあきらめ撤退しました。

怒りが収まらない王は二度、三度と出兵しますが、その度に同じ場所にブッダが座っていたため侵略を断念。王が四度目に出兵した際、さすがのブッダも「これは因果応報だ」として何もせず、ついに釈迦族はコーサラ国に滅ぼされてしまいました。この故事が、「仏も三度までしか許さない」ということわざの元になったとされています。

「仏の顔も三度まで」の例文

  • この前また宿題を忘れたら、いつも優しい先生なのにかなり叱られた。仏の顔も三度までだね。
  • またおごってもらったの?いくら彼がいい人だからって、仏の顔も三度までじゃないの?
  • 仏の顔も三度までだ。今日は見逃すが、次に失敗したら覚悟しておけよ。

「仏の顔も三度まで」の類似表現

  • 堪忍袋の緒が切れる…我慢する心の大きさを袋に例え、その袋の口を縛っている緒が切れるほど、怒りが増大して爆発すること。
  • 兎(うさぎ)も七日なぶればかみつく…「普段おとなしい兎も、七日間もからかい続ければ怒り出す」という例え。
  • 地蔵の顔も三度…「仏」を日本の地域に馴染みが深いお地蔵様に置き換えたことわざ。

「仏の顔も三度まで」のまとめ

確かに、一回や二回ミスや愚かなことをしても(程度にもよりますが)、大体世間は「人間だから失敗はつきもの」と許してくれます。ただ何度も続けば、それは本人の努力や学習能力が足りないからで、責任が帰するのは当然のことです。古代インドの仏様も同じ心境だったとは、意外なエピソードでした。


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